CGやアニメという、自然とは乖離した人工的な表現で、畏怖的な自然のようなものを描き得たことが、本作の重要な収穫と言えようか。
物語は三部作として続く。点数が7.0に留まっているのは、ちょうど盛り上がりそうなところで映画が途切れたことに拠る。興行場の理由で仕方ないのかもしれないが、89分の上映時間というのは短いし、三部作仕立てであるのも欲求不満が残る。「ブレードランナー2049」の上映時間が163分であったことと比べると、食い足りなさはどうしても感じる。これから先に待ち受けている展開を全部一作に圧縮しても良かったのではないか……とも感じる(これは、分割して上映する最近の邦画全般に対する不満でもあるのだが)。
この先の物語展開について確たることは知らないが、もし本作が自然=地球=ゴジラという図式を本当に採用しているのならば、自然そのものと格闘し、科学などで生存の場を広げなければいけない人間存在が主題として展開されるのだろうと推測できる描写がある。「怪獣惑星」になってしまった「地球」という「故郷」すら、単純に回帰できるものではなく、敵対しなくてはならないものとして現れることも、本作での地球の調査内容からは推測される。
多分、本作のCGで描かれたゴジラが、「人工的に作られた自然」という存在論的な位置を持っていることと、展開される主題は関わってくるだろう。「科学」と「自然」の対立を主旋律にしてきたゴジラシリーズを、CGアニメとして継承しながら飛躍するポイントは、その辺りに期待できる。アニメ・ゲーム的な世代によるゴジラの受け取りが成功するか否かは、そこに賭かっているはずだ。