弊誌ではクラベが初代「サマーレッスン」の「宮本ひかり セブンデイズルーム」に対しても、2作目の「アリソン・スノウ 七日間の庭」に対しても、彼が自ら「赤点」だと明言する5点を与えている。しかし今回「サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード」をレビューするにあたって、私は何か過去の2作品にはなかった感銘を与えてくれたら、合格点を与えようと思っていた。

しかし、私の期待は空しい希望に終わった。本作はやはり5点以上のスコアをあげることができない。30分で一周はクリアできるとも言われる本作を、3時間近くをかけてじっくりプレイして、細部にまでアンテナを張っていたが、特に新しい側面はなかった。そこにはドラマが確かに存在したが、それは未熟なフォーマットにはめ込まれた、とっても小さくて浅いドラマだ。新城ちさとよ、ごめん。正直に言うよ。君は結局、二人の先輩を抜き去ることができず、彼女たちの後ろに付いて歩く娘でしかない。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
本作のヒロイン、新城ちさと。

今回のミッションは、深窓のお嬢様である新城ちさとに一般社会の常識や流行の娯楽を教えることだ。ちさとは赤絨毯が敷かれた壮麗なお屋敷を出ることも許されず、ずっと自宅に閉じ篭っていて教育を受けてきた“籠の中の小鳥”だが、現状には満足していない。使用人の反対を押し切って外の学校に通うために、世間知らずを克服してクラスに編入されても問題がないよう、彼女が「ばあや」と呼ぶ家政婦長に頼み込んで、7日間の短期コースで家庭教師を雇うことにした。

ちさとは端的に言うと「キレイ」だ。純粋に同性の娘として見た場合、好感が持てる。

ビジュアル的に、ちさとは端的に言うと「キレイ」だ。二人の先輩よりも、お肌のキメがさらに整っていて、顔立ちが端正、そして細身で白い。異様にお喋りな宮本ひかりと日本愛あふれる金髪美女のアリソン・スノウと比べると、優雅で、やや控え目で、良い意味で日本的だ。「サマーレッスン」のこれまでの三人の中で、私は新城ちさとが一番「タイプ」なのかもしれない。クラベと違って、女性の異性愛者である私はちさとに恋愛感情や下心を持つわけもなく、純粋に同性の娘として見た場合、好感が持てるのだ。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
なかなかキレイでしょ?

これは私としても少々意外だった。多くの美少女ゲームをプレイしてきた私は、特に「お嬢様属性」がなく、いわゆる「S系」のキャラクター(私はちさとが「どS」だって聞いていた)に好感を持つことも少ない。以前の2作品のどちらも2周以上クリアした私にとって、思ったよりも新鮮な気持ちでゲームを始めることができた。

しかし、そのワクワクは長続きしなかった。キャラクター(生徒)は違えど、本作は以前と同じ展開を辿り、プレイヤーに同じことをさせる。8月24日(日曜日)、自分の仕事場である喫茶店で「東京本社」の鵜飼さんの留守電を聞いては生徒と面会し、仕事が決まって翌日の25日(月)から31日(日)まで1週間の指導をして、後日のテストの結果を待って、エンディング。過去の2作品と全く同じ展開だ。喫茶店ではスマートフォンで指導目標を確認して、生徒と鵜飼さんとインスタントメッセンジャーアプリでテキストチャットをする。そして生徒の能力値(パラメーター)を見ながらその日の科目と話のタネを選ぶ。レッスンの内容はパソコンやスマホ、漫画、ゲームなどと以前と大きく違うが、それぞれの科目が向上させる能力を見て、最終的に5つのパラメーターがムラなく伸びるようにするシステムは以前から全く変わらない。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
学習の成果。そんなの簡単だよね?

2周連続、クリア時にSランクの成績を獲得した。最初から最高の成績なので「何度もプレイ」する必要もなかった。

そして新城邸の応接室でちさとと対面するときも、以前と同じように最低限のインタラクションをして、すぐ一日が終わる。レッスン中は3つある指導方針から最適なものを選び、休憩時間は一瞬だけ雑談をして、そして一日の指導が終了。指導方針の部分は、過去の2作品と比べても非常に難易度が低く、最初の2周(14日間)で「たいへんよくできました」ではない日は1日しかなく、2周ともクリア時にSランクの成績を獲得した。ゲームプレイという意味では、何のチャレンジにもなっていない。バンダイナムコは「何度もプレイして、より優秀な成績を修めてください」とアドバイスしてくれたが、最初から最高の成績なので「何度もプレイ」する必要もなかった。指導結果の記録にある「教え子の様子」の文章が以前と全く変わらないのもつまらないし、鵜飼さんからの毎日の電話やテキストチャットの内容まで以前と色々なところでそっくりなのも手抜き感満載だ。ちなみにラッキーイベントをゲットする難易度も以前より下がったようで、私は最初の1周で2つのラッキーイベントを見て、2周目も同様に2つを見た。これは「宮本ひかり」と「アリソン・スノー」より高い確率だった。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
毎回これ。

「そこにいる」のは、決定的に人格の深さを欠いた「彼女」だった。

それよりも私をガッカリさせたのは、新城ちさとというキャラクター自身だ。「彼女は、本当にそこにいる」という「サマーレッスン」のキャッチコピーについてはあえて否定しないが、「そこにいる」のは、決定的に人格の深さを欠いた「彼女」だったのだ。お屋敷の中で純粋培養を受けながら、外の世界に憧れ、ニヒルでひねくれたエキセントリックなお嬢様。そんな小悪魔のような、ワガママなお嬢様の気まぐれに付き合わされる家庭教師。ありきたりながらも、確かに面白い物語が描ける設定である。しかし、肝心のお嬢様が持っているはずの教養や奥深さがなく、今のちさとに至るまでの性格の形成や成長の過程、そしてその心象風景も、まるで見えてこない。閉鎖空間で生まれ育ち、ワガママでありながらもニヒルな性格になり、普通の女の子になりたいと思っている。いくらでも深掘りができる素材なのに、見えてくるのは「世間知らず」の一点だけ。ちさとをもっと知りたかった私は、空虚な設定を支える裏付けがないことに気付き、彼女の浅薄さに失望した。実にもったいない。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
一周目クリア時の最終成績。他愛無い。

ちさとは、スマホでのテキストチャットでも、対面での会話でも教養の「き」の字もなく、文学全集をはじめ、あらゆる本を読んでいるという彼女の言葉遣いは俗っぽかった。そして「世間知らず」のちさとにしては、スマホの上達が速すぎた。そもそも7日間もみっちり教える必要があるのかと感じる一方、インターネットで知らない人に自分の住所を教えようとしたり、赤の他人だった家庭教師に「他人という気がしない」「今度は友達として、迎え入れる」と話しかけて自分の手にキスさせたりと、やはり世間知らずが突出していて危なっかしい。7日間の指導の後、Sランクの成績を修めてばあや(家政婦長)も安心して外の学校に通わせられるとのことだが、「本当にこれで大丈夫かよ」と突っ込まざるを得ない。いくら何でも危険すぎる。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
これは人間過信というのよ、お嬢様。

ゲームはひたすらプレイヤーに良い成績を獲得することを勧めるが、もちろん偏った科目を組んだり、あり得ない指導方針を選んだりして意図的に悪い成績を目指すこともできる。パラメーターのバランスによって様々な人格的展開があったり、成績が芳ばしくないときにとびっきり面白い結末を見たりできれば、「プリンセスメーカー」的な楽しさも生まれるが、いかんせんこのゲームプレイは全てにおいて薄っぺらい。パラメーターに寄与する話のタネは、ごく単純なゲームプレイにおいては意味のある要素だが、実際のお喋りはバラエティに欠ける。そしてレッスンの開始・休憩・終了時のちさとの反応も、極めてパターンが少ない。コンテンツの少なさは、大昔の未熟な美少女ゲームを彷彿とさせる。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
体感的な距離はかなり近い。生徒との物理的距離で言えば、本作は「アリソン・スノウ」より近く、「宮本ひかり」よりは遠い。

本作は、ストーリー展開やコンテンツ量に関しては1989年の「きゃんきゃんバニー」にも及ばない。

美少女ゲームと言えば、私は「サマーレッスン」の1作目をプレイしたときから、ずっと1989年の元祖ナンパシミュレーション「きゃんきゃんバニー」にどこか似ていると思っている。唐突に女の子の部屋にやってきて、コミュニケーションをするという部分は、建前はさておきほぼ同じと言っても良い。

しかし、初代「きゃんきゃんバニー」は女の子と仲良くなるプロセスが描かれており、「エロシーン」を目的とした稚拙なものではあるが、ストーリー展開という意味では確実に「サマーレッスン」より上だ。少なくとも、「きゃんきゃんバニー」では女の子との会話には続きがあり、インタラクションを重ねると徐々に心(そして体)を許してくれるようになる。「サマーレッスン」に関しては、休憩時間の会話やスマホでのテキストチャットに連続性を持たせれば、仲良くなる過程をより丁寧に描けるのではないだろうか。現状では、ビジュアル的なリアルさはもちろん「サマーレッスン」の圧勝だが、コンテンツ量に関してはむしろ30年近く前の「きゃんきゃんバニー」の方に軍配が上がる。原始的でありながら「きゃんきゃんバニー」は「序破急」があり、明らかな物語上の展開が見られるが、「新城ちさと」を含む「サマーレッスン」は何の展開もない。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
カーテンがかすかになびいている。しかしながら、背景の動く要素は「アリソン・スノウ」より少ない。

女の子とのコミュニケーションに関しては、「新城ちさと」には少し面白い部分もある。奥深さは全くないが、端的にワガママな“小悪魔お嬢様”という表象的側面においては、他の要素よりも少し及第点に近い。ちさとは「よ」や「わ」を多用するなど、お嬢様言葉を使い、家庭教師を「従者」扱いする。毎日のレッスン開始時はプレイヤーの後ろから回り込んで近距離から上目遣いでささやいたり、家庭教師に対して世間のことを知っていそうな顔をしているわとか、レッスンが「少なくとも暇つぶしにはなっているわね」と意地悪なことを言ったり、まあまあSっぽいお嬢様の体裁にはなっている。なお、S系小悪魔の顔を覗かせるのは主にテキストチャットの中、あるいは休憩時のお喋りで、普段は「ありがとう、先生」「とても楽しかったわ」「またいらっしゃってね、先生」などと優しいことが多い。事前に「どS」って心構えをして接したら拍子抜けするだろう。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
先生をなでなでするちさと。S系だけど優しい。

なぜ世間知らずのお嬢様はSが「Sadistのことよね」ってすぐ分かったのだろうか?

「S」と言えば、プレイヤーに「Sっぽいよね」(それ自体、トンデモ発言だと思うのだが)と言われたちさとが意地悪そうな目付きで近付いてきて、「それはむしろあなたに問題があるのでは」と笑みを浮かべながら言うシーンが印象的だ。しかし、なぜ世間知らずのお嬢様はSが「Sadistのことよね」ってすぐ分かったのだろうか?

他にもアラを挙げたらキリがない。過去の2作品同様、「背景画」が変わらないのはご愛嬌として(最低限、時計の時間には変わってほしいが)、「新城邸」にはちさと以外に3人の使用人しか住んでいないのは一体なぜ? 別荘なら理解できるのだが、場所は「新城邸」だ。私自身、リアルでお金持ちのお嬢様(女子校の高校生)の家庭教師を務めたことがあり、その娘の自室で教えていたのだが、場所は別荘だったのでその生徒しかいなかった。しかし別荘ではなく「新城邸」に使用人以外の大人がいない(そしてその説明もない)のはかなり不自然だ。また、3作共通で生徒に教える場所に入るときにドアベルの音がするのも奇妙極まりない。アリソンの場所は庭だし、富豪の大邸宅の扉にも普通、あんなチープなドアベルがないはずだ。喫茶店を出るときの音だとしたら納得するが、効果音を出すタイミングが生徒を教える場所に入るときなので、やはり不思議で仕方がない。

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新城邸の応接室
デレのないツンは、あまり可愛くない。ヒロインがツンから徐々にデレに転向するという楽しみは皆無だ。

ここでいったん、小悪魔というキャラクター設定の話に戻るが、ひとつ片手落ちに思われる点がある。この小悪魔は、残念ながらあまり可愛くないのだ。限られるシーンでしか小悪魔としての性格が観察できない、つまり描写不足も原因のひとつだが、何よりも“ギャップ”が少ないのだ。小悪魔が可愛く思えるのは、小悪魔でない側面を見せちゃったときのギャップが印象的対比を見せるからである。高飛車なお嬢様キャラクターについても同じだ。先述の「きゃんきゃんバニー」との比較でも、本作にはコミュニケーションの連続性と、その結果である人間関係の発展が見られないことを述べたが、いわゆる「ツン→デレ」という変化の欠如にもそれが反映されている。もちろん「ティアラをつけた自分をお姫様と称して先生に従者の礼(=お姫様の手にキス)を強要した後、一人で照れる」といったデレ要素を含む少数のイベントもあるが、ストーリー展開がゼロに近い分、ヒロインがツンから徐々にデレに転向するという一般に期待される楽しみは皆無だ。

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お姫様に従者の礼をせよ

また、「お約束」の部分もあるが、毎回同じタイミング(8月24日、日曜日)、同じ場所(喫茶店)で東京本社の鵜飼さんから留守電が入り、米国の金髪美女の人気歌手やスーパーお金持ちのお嬢様の家庭教師として仕事を依頼されることを不自然と感じる人もいるだろう。プレイヤーに都合の良い存在を用意するのは分かるが、物語に真実味を加えるためにもプレイヤーキャラクターの設定には期待したかった。私が東京ゲームショウのプレビューで指摘したように、家庭教師は非常に“ハイスペック”な人に違いないだろうし、毎日喫茶店で(内容がよく分からない)「仕事」をするのも気になるところだ。

すぐに驚きがなくなり、新体験もすぐ色褪せてしまうだろう。

以前の2作品と同様、本作も一度クリアすると、あまりリプレイしたくなくなる。衣装や科目、話のタネをアンロックしたり、科目がレベルアップしたりといった要素もあるが、表層的部分をほんの少し変えるだけで、本質的にストーリー性と多様なパターンに欠ける以上、退屈するのは避けられない。見込めるリワードがとても少ないので、2周目、3周目をこなしていくためには根気が必要だ。よっぽどこのお嬢様にデレデレして夢中になる超純真な思春期の男の子でない限り、リプレイ性の低さが気になって前向きにはなれないだろう。本作は「VRのノウハウを結集して『驚きの新体験』を集めました」と公式サイトで宣伝されているが、実際にプレイしたらすぐに驚きがなくなり、新体験もすぐ色褪せてしまうだろう。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
上の画像の続き:一人で照れている新城ちさと

ストーリーもキャラクターも浅薄でゲームの奥行きがないので、とても大人向けの作品とは言えない。貧弱なゲーム性を考えると、「ゲーム」と期待してプレイするとガッカリするだろう(最も、「サマーレッスン」自体は「体験」という側面がかなり強調されているが)。物語性もキャラクターデザインもゲームプレイも秀逸な美少女コンテンツを多く消費して目が肥えた人なら、かなり早期から飽き飽きするだろう。一方、ひとえに下心に駆り立てられる男性プレイヤーならば、こんな極めてソフトな体験ではなく、18禁のVRゲームの方が良いと教えてあげたい。

もちろん、様々なシチュエーションを追加するDLCはある。しかし、そもそも「新城ちさと」は「アリソン・スノウ」同様、最初の「サマーレッスン」のDLCというレベルの価値しかないのだ。「新城ちさと」だけで、全てのシチュエーションを含むデラックス版が8000円以上もするのはさすがに高すぎるのではないだろうか。8000円も出せば、ずっと優れた本物のゲームをたっぷり楽しめるからだ。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
机の上の飲み物は紅茶であると思われるが、毎回目の前に置かれているとその曖昧な色がどうしても気になった。

これ以上、もう「サマーレッスン」に期待すべきことはない。

3作目になって、ひとつ明らかになったことがある。「サマーレッスン」は最初からガチガチのフォーマットが完結していて、各タイトルの違いはその型にはめる表層的要素しかない。そのため、「サマーレッスン」にはこれ以上の展開がないと断言できる。長大なスタッフロールに見合わないコンテンツ量は、同様に価格にも見合わない。これ以上、もう「サマーレッスン」に期待すべきことはない。1作目からフォーマットが完結しており、2、3作目でそのフォーマットを発展させる野心が見られないので、今後の進化は見込めないだろう。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
「サマーレッスン」よりちさとが読んでいる漫画の方が面白い。たぶん。
それらは全て、完結したフォーマットにはめ込まれた、とってもとっても小さくて浅いドラマだ。

小さなドラマは確かにある。1作目では勉強が不得意でお喋りな女子高生が部活を続くために頑張る、2作目では日本が大好きな米国の美人歌手がマネジャーを説得してもっと日本にいられるよう奮闘する、3作目ではお屋敷に閉じ篭っている深窓のお嬢様が外の世界に出る許可を得るために世間の「いま」を学ぶ。しかし、それらは全て、完結したフォーマットにはめ込まれた、とってもとっても小さくて浅いドラマだ。そもそもエンディングらしいエンディングもないドラマである。

サマーレッスン:新城ちさと 七曜のエチュード レビュー
流行語やPC、ゲームを勉強しても、結局君も赤点だ。

勝手に完結しているフォーマットは「未熟な完成形」である。

その「サマーレッスン・フォーマット」を非常に気に入って、“有料DLC”として小さくて浅いドラマを増やしても良いと考える人なら、今後も「サマーレッスン」は生きるコンテンツに見えるのだろう。しかし、明確にその意識を持っている「サマーレッスン」の購入者がどれだけいるのか、疑問である。何しろ、勝手に完結しているフォーマットは、ゲームとしても物語の入れ物としても、あまりにも稚拙なのだ。言わば「未熟な完成形」である。そしてそのフォーマットにはめ込まれるドラマは、必然的にごく小さく浅いものとなる。“無料DLC”なら、数十分のミニドラマだけでも、そこそこ楽しいだろう。だが有料ならば、価値に見合っているとは思えない。