弐瓶勉は日本の漫画界でもかなりの異端といえる作家だろう。記号化されたキャラクターとダイアログ、そしてコマ割りによるダイナミズムを得意とする日本の漫画の中で、彼の初期作品は寡黙なキャラクター、重厚に書き込まれた背景、動きが感じられない画面構成で特徴づけられる。近年、アニメ化された「シドニアの騎士」は以前に比べて日本の漫画らしいキャラクター、ダイナミズム、ヒロイズムが取り入れられているが、今回の劇場版アニメの原作となった「BLAME! 」は弐瓶のデビュー作にあたり、一般的な漫画読者を拒絶するような魅力を持っている。

ほとんど喋らない主人公、起伏に欠くエピソード、巨大構造物に異様に執着した書き込みといった「BLAME!」の特徴は、日本の漫画よりもバンドデシネなどと比較する方が適切だ。このようにマニアックな本作が劇場版アニメとなったのは、ひとえにアニメ版「シドニアの騎士」のヒットが理由だろう。ポリゴン・ピクチュアズによる3Dアニメ「シドニアの騎士」は、いくぶん丸くなった弐瓶勉のキャラクターに魂を吹き込み、スケール感にあふれるロボットバトルを迫力を持って描くことに成功した。結果、既存の弐瓶漫画の読者以外のファンも獲得するにいたり、本作「BLAME!」の製作に繋がったことは想像に難くない。事実、本作のスタッフは「シドニアの騎士」とほぼ同じである。

本作は原作漫画「BLAME!」とアニメ版「シドニアの騎士」の両者から派生した作品

この点から見た場合、本作は原作漫画「BLAME!」とアニメ版「シドニアの騎士」の両者から派生した作品と言える。ストーリーや世界設定は「BLAME!」に依拠しながらも、本作のアニメーション、演出、キャラクター描写はポリゴン・ピクチュアズの「シドニアの騎士」の延長線上にあると言ってよい。結果として原作にあった起伏に欠く淡々としたエピソード、巨大建造物へのこだわりは後景になり、キャッチーなキャラクター、ヒロイックなストーリー、そしてダイナミックな作画という「シドニアの騎士」につながる特徴が見られるのだ。

まず指摘すべきなのは、原作漫画にあったいくつかの興味深いエピソードがオミットされたことだ。珪素生物、生電社、東亜重工(名前自体は登場する)の件は登場しない。世界設定は大きく単純化され、都市の片隅で細々と暮らす”電基漁師”である人間と無秩序になったシステムにより人を襲うセーフガード(駆除系)という二項対立の中で物語が展開する。我らが無口な主人公”霧亥”は原作漫画より格段にヒロイックな佇まいでこの二項対立の中に現れ、電基漁師たる人間の(文字通り)強力な協力者となる。もちろん、口癖のように「ネット端末遺伝子を探している」とつぶやくのだが。

BLAME!
都市でひっそりと暮らす電基漁師たち。原作では前半部で登場するのみだが、本作では主役級な扱いだ。

原作ファンからするとこれらの省略は残念だが、劇場版アニメという制約を考えれば、極めてクレバーだろう。抽象画のように難解だったストーリーは、ドラマチックに具体化され、ヒロイックなSF映画として初見の人でも楽しめる構成に落ち着いた。人間がサイバースペースへのアクセスを失った結果、機械によって管理されていた都市が荒廃し、機械に囲まれながらも前近代的な生活を送ることになった人間たち。原作連載時はサイバーパンクの類型として理解された設定だが、近年では「Horizon Zero Dawn」の世界を思い浮かべてもらうと良い。人類は遠未来の都市やガジェットで囲まれながらも、都市を無秩序に拡張する”建設者”や人間を違法居住者とする”セーフガード”を恐れながら原始的な生活を営む。そこにサイバースペースへのアクセスを可能にする”ネット端末遺伝子”を探し求める主人公霧亥が登場する。

BLAME!
主人公霧亥。迷台詞「逃げろ!あれは重力子放射線射出装置だ!!」は登場しないが、尺の都合か全体的に台詞はやや説明的になっている。それもまた弐瓶らしさかもしれないが……。
「シドニアの騎士」で見せつけた日本型の(ほぼ)フル3Dアニメを見事に実現

原作にあった「人間と珪素生物と統治局」という三者関係が失われているのは残念だが、100分程度の劇場版アニメにまとめなければならないことを考慮すると、この単純化は受け入れ可能なものだ。「都市という名の脅威」に怯える人類とそれに果敢に挑む霧亥と電基漁師たち。サイバースペースへの侵入を試みることでそれを援護する謎めいた科学者”シボ”。物量で襲いかかるセーフガードの駆除系。破天荒な威力とやたらと長い名前を誇る霧亥の武器”重力子放射線射出装置”。いくつかの派手な戦闘シーンでは3DCGらしいダイナミズムとスピード感を堪能でき、アニメーション映画としては十分なクオリティに到達している。何よりもトゥーン調のキャラクターが違和感なく世界に溶けこんでおり、モデルの数は少ないがCGによる駆除系などのメカニック描写を最大限に活かしている。ポリゴン・ピクチュアズが「シドニアの騎士」で見せつけた日本型の(ほぼ)フル3Dアニメを見事に実現しているのだ。

BLAME!
電基漁師の”づる”、本作のメインヒロインと言って良く、弐瓶勉のキャラクターにしては可愛すぎる造形と言えなくもない。

とはいえ、原作にあったわかりやすい要素を抽出して、劇場版にまとめるあたって、いくつかの見過ごせない欠点もないわけではない。第一にストーリーテリングは電基漁師の”づる”(もしくはその子孫)のモノローグやダイアログで展開する。作品背景をよく知らない視聴者に配慮すれば仕方がないことだが、原作の魅力は世界に対するある種のフラットな視点にあり、人間の立場から脅威たる都市やセーフガードを描くのはわかりやすいとしてもやや興ざめであったように感じる。

またダイアログが多いためか、キャラクターを目立たせるためか、アップのショットが多く、ロングが少ないこともやや残念だ。原作最大の魅力はエピソードとエピソードの間に表現される引きの構図での巨大建造物にある。当然、本作でもそういった構図によるシーンはいくつか存在したが、原作にある都市の崇高さは存分には伝わってこない。「シドニアの騎士」と同じく遠景の巨大建造物は3DCGではなく、ビルボードでの一枚絵を使用しているようだが、漫画に見られるような迫力をうまく表現できているようには思えない。せっかくの3DCGによるアニメであるならば、巨大建造物のモデリングも行い、立体的なカメラワークを見せて欲しかった。もちろん、コストの割にはメリットが少ないかもしれないが、本作の3DCGはほぼキャラクターアニメーションに注力しているということは指摘しておくべきだろう。

BLAME!
一部ではスケール感を感じさせるカットも存在するが、やはり漫画の持つ都市の崇高さはなかなか再現が難しく感じた。
原作ファンならこの”シャキサク”目当てで劇場に訪れても損はしない

以上をまとめると本作は原作の雰囲気を期待するとやや残念な劇場版アニメ版だが、「シドニアの騎士」以来のファンやSF好きにとっては十分に魅力的な作品だ。敵役となる駆除系のモデルが少ないのは残念だが、トゥーン調のキャラクターは素晴らしいクオリティと演技を見せてくれる。物語の終盤の霧亥を中心とした戦闘シーンは、原作になかった躍動感が表現されており、アクション映画好きにもアピールする。そして重力子放射線射出装置は原作通りの馬鹿らしい破壊力だ。ついで言っておくと長い間、ファンの中で謎であったいわゆる”シャキサク”の新たな事実も判明する。いろいろ文句は付けたくなるが、原作ファンならこの”シャキサク”目当てで劇場に訪れても損はしないだろう。