「中休み」「退屈な1時間」「運動の後で息をつくためのエピソード」……色々な言い方はあるだろうが、とにかく「分かれ道(原題:The King, the Widow, and Rick)」は多くの小さな物語が全体――救世主と戦っている3つのコミュニティ、そしてそれ以外――に散らばっている静かな章だ。

このようにたくさんの出来事が描かれているが、やはり最初は私が一番好きなところから始めたい。最も視聴者の共感を呼び、満足感を覚えさせる要素は、ズバリ! ミショーンとロジータの部分だ。雑然とした寄せ集めのような「分かれ道」の中で、この二人は本当に“仕事”をしているのだ。

「ウォーキング・デッド」シーズン8「分かれ道」 レビュー

特にロケットランチャーで救世主の男を木っ端微塵にしたロジータは素敵だ。やり過ぎだって考える人もいるかもしれないが、むしろそれが素晴らしく、ダイナミックで楽しいアクションを提供してくれた。このシーンが進行中の――そしていつまでも終わらない――戦争に参加していない二人のサイドミッションの中に起きたというのはまた良い設定である。要するに、彼女たちは戦闘メンバーと違って“荷物”を背負っていないのだ。エゼキエルのように打ちひしがれて鬱状態になっていないし、相変わらず――そしていつだって――非常識な清掃人グループの本拠地へ乗り込んで更なる戦力を求めるために捕まってしまうリックのような役回りとも無縁である。ミショーンとロジータはただ本当に皆の役に立つことをしている。ロケットで男を吹っ飛ばしただけではなく、大量のスピーカーを用いた「オペラ作戦」を阻止して、聖域からウォーカーの大群の注意を逸らそうとする救世主たちの努力を挫いた。気持ちの良い仕事っぷりだ。

「ウォーキング・デッド」シーズン8「分かれ道」 レビュー

まあ、仲間たちが手紙でお互いの近況を報告し合い、次の一手へ向けて準備するところから始まる「分かれ道」は、全体的には各員の簡単な“身体検査”のようなものだ。長い戦いが続く中で展開に乏しい挿話のみを抽出して1話分を構成する手法は、番組のペースを落とすだけでなく、その結果として生まれた出来事もほとんどが面白くない。ストーリーをつまらなくなるほど薄く伸ばしてしまうやり方の背後にはもちろん、ある“戦術”がある。つまり、戦争の一時停止ボタンを押して、人々に倫理や道徳について議論させることだ。これは「ウォーキング・デッド」の常套手段だが、緊張感に満ちた極めて重要な“勝者独り勝ち”の戦争の最中において、こんな段取りはただ視聴者のフラストレーションを引き起こすだけだ。

「ウォーキング・デッド」シーズン8「分かれ道」 レビュー

 

それでは、それぞれの道徳上のジレンマを細かく見てみよう。カールは自分の父親がシーズン・プレミア――あるいはその日の朝――に追い払った男、セディク(アビ・ナッシュ演)に慈悲を見せると決めた。実に退屈な物語だ。キャストに新キャラクターを追加するのは構わないが、この番組が非常に大勢のキャラクターたちを正しく扱えず、無駄にしてしまった事実を考えると、セディクもその一員に加わる可能性が高いだろう。また、セディクは今週にウォーカーを登場させる“言い訳”ともなっている――「ウォーキング・デッド」は、いつも何らかのストーリーを言い訳にしてウォーカーをなんとか登場させているのだ。今週では、カールがセディクに協力してウォーカーを始末している。理由は? セディクがウォーカーを“解放”する(殺す)のが好きだからだ。母親のために。そしてカールはウォーカーを始末する最中、危うく死ぬところだった。文句を言いたくなる気持ちも分かるが、それでもカールは今、理想通りの生活をしているに違いない。……説得力はいささか足りないのかもしれないが。

一方、ヒルトップではマギーと、救世主の捕虜たちを連れてきたジーザスとの緊張が続く。ジーザスをバカのように扱うマギーには拍手喝采を送りたい。それにしてもあの(ヒルトップに入る前から)しきりにジーザスに話しかけている救世主の男は何だろう。番組はしつこく彼に視聴者の注意を引こうとしているが、あんな嫌なヤツを生かそうとするジーザスは一体どんな神経をしているのだろうか。しかし……この番組は最近、メインキャストよりも適当な救世主に尺を割くことが好きなようだ。

はっきり言おう。私は(おそらく多くの視聴者と同じように)「アンチジーザス」だ。あの12人の救世主は救う価値のある人間とはとても思えない。戦いの現場であった前哨基地でひと思いに全部殺しておけば良かった。今や彼らを殺すタイミングを逃した――ヒルトップに入れてしばらく経った今になって、捕虜たちを殺すのは、広場で多数の人間を怪物のように公開処刑することになってしまうからだ。ジーザスは彼らの命を助ける根拠として、「戦争が終わってもこの人たちと協力し合いながら一緒に生きていかなければならない」と話しているが、本気なのか? あの12人の救世主だよ? 具体的に彼らはどんな風に貢献できるの? 特に捕まってからずっと人をイラつかせ続けるあの不愉快なヤツは、どんな風に他の誰かの役に立つことができるのか? リックが勝利した暁には、あの腹立たしい男が仲間になるとなぜ信じられるのか? ヤツは逃走を目論んだのだよ? 彼を生かすメリットなんかあるの?

今週、番組は視聴者をジーザス側につけるために(これ自体、かなり強引な押し売りだが)グレゴリーを利用した。凄まじくイメージが悪いグレゴリーがマギーに賛同して文句を言うことによって、捕虜の処刑を最悪の身勝手なアイデアのように見せようとしている。そしてマギーよ、グレゴリーを檻に入れてくれてありがとう。最近の裏切りや自己中心的な行動だけでなく、これまでグレゴリーは、マギーが彼を拘束するのに十分過ぎる理由を提供してきた。しかし、もしマギーが「グレゴリーだから」ということだけで意見を聞かない人になったのであれば、私は落胆するだろう。そうでないことを願いたい。

さて……ジェイディスと清掃人グループについてはここで多く語るつもりはない。彼らは依然バカげていて、おかしい。ジェイディスの裸エプロンとか、「しゃべりすぎよ」といったセリフとか、全てが非常識だ。そして今なお清掃人を信用するリックも頭がおかしい。第一に、清掃人はリックをゴミ処分場に放り込んで、「バイオハザード」のモンスターのように獰猛なウォーカーとの死闘を強いた。第二に、清掃人は極めて重大なタイミングでリックを裏切り、危うくカールを死なせるところだった――ニーガンがルシールを振り下ろす直前にマギーとエゼキエルが間一髪で現れなかったら、カールはニーガンの言う「スパゲッティ」になっていたし、その過程を通して清掃人たちは救世主の無慈悲な共犯者に徹していた。しかし今、リックは清掃人を仲間につけることが素晴らしいアイデアだと考えている。戦闘要員が必要なのは分かるが、清掃人が“戦力”になるというのは、戦闘要員の減少よりもさらに悪い状況だ。そして案の定、リックは真っ裸にされて、絶食状態になって自分の問題に直面しなければならなくなった。清掃人の忌々しいヤツらめ、さっさとくたばれ。

 

そしてダリルだ。先週、リックとの格闘の後、二人が暗黙の合意を得たように見えた。しかし、今のダリルは積極的に指示に背き、自己満足のためにただひたすら聖域に殴り込もうとしている。衝動的に行動して悲惨な結果を招いてしまったという教訓を、どこの誰が忘れたのか? ねぇ、ダリル! そう、怒り狂っているダリル! グレンの死を覚えているの? 警告を聞かないでニーガンを殴った結果、グレンは惨殺された。シーズン7を通して、ダリルは罪の意識に苛まれていた。「ダリルは反省・学習した」と多くの視聴者が思っていたら、シーズン8であの衝動的で不注意なダリルが復活。他の人たちが着々と作戦を進めている中で、全てをめちゃくちゃにするために。

「ダリルが死んだらただじゃ済まねえぞ」と考えているファンが多いのは分かっている。しかし私はあえて主張したい。「ダリルは逝くかもしれない」と。怒らないでね。私はただ言ってみただけだ。大規模な全面戦争の中で、このようなマヌケな判断をしてとことん突っ走りすぎたら、ダリルだって死ぬ。かもしれない。パニッシャーのスタイルで「皆を燃やしてやりたい」のは分かるが、無謀な計画を立てて仲間たちを危険に晒して良いわけがない。しかも彼は、ゴミ山へ乗り込んだリックの“切り札”だったのかもしれない――もし自分が清掃人グループに捕まったら、ダリルに助けに来てほしいとリックが考えているかもしれないのだ。

最後は王国だ。今のエゼキエルは、すでに他の人たちの手が届かない場所に行ってしまった。従者のジェリーにはもう付き添わなくて良いと話していて(あぁ、可哀想なジェリー)、ただ一人にしてほしいと言っている。もちろん、王座で、だ。 巨大な劇場の中で、ステージの上で、王座で、一人で塞ぎ込んで「私はもう王になりたくない」と言っている。彼はもう観衆の喝采には応えていない。キャロルは戦いと、「王」としての生活に彼を連れ戻そうと努力したが――実際、彼女の美しい言葉は感動的で、エゼキエルの説得も不可能ではないと思われた――答えは「できない……」だった。番組は、まだ王国とエゼキエルについて結論を出していないようだ。

ちなみにこのエピソードの原題は「王、未亡人、そしてリック」だが、リックは「リック」よりもクールな呼び方にできないのか? マギーは「未亡人(Widow)」、そしてエゼキエルは堂々たる「王(King)」なのに、リックはあくまで「リック(Rick)」のままなの? 「司令官」とか「法執行官(Lawman)」だったら、もっと素敵なのでは?