人の世にはいくつかの動かざる真実がある。日はまた昇る、とか。波は寄せ、またかえす、とか。そして大人気を博した漫画の実写映画はかなりの確率でコケる。悲しい哉、これが人の世というものである。この夏公開された「東京喰種 トーキョーグール」を例にとると、まるで離陸後数分で不時着した飛行機のようだった。ちょっと遡れば2015年、満を持しての「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」前・後編公開も興行収入的にはかなり淋しいものがあったようだ。

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しかし今度こそ、アニメファンは約束の地にたどり着くことができるかもしれない。「鋼の錬金術師」、通称「ハガレン」の実写映画版がやってくる。原作は荒川弘。漫画界におけるメガ・ヒットメーカーとしての荒川の地位を不動にしたのは本作だ。果たして実写版「ハガレン」はどこまで原作に忠誠を尽くしつつ、映画としてのクオリティを追求できるのか?

スタイリッシュでファンタジー要素満載な、それでいて深刻になりすぎず笑いもある。そんな映画が見たいんだ、日本語で!

実写版「鋼の錬金術師」 レビュー

映画公開のタイミングは悪くない。ここのところ、人肉を食らうモンスターの話には少々食傷気味だった。ここはがらっと目先を変えて、スタイリッシュでファンタジー要素満載な、それでいて深刻になりすぎず笑いもある。そんな映画が見たいんだ、日本語で! という御仁は多いと思う。その全てのファクターを満たしているのが「ハガレン」の世界だ。固い絆で結ばれた兄と弟。ふたりで探しに行く「賢者の石」という摩訶不思議な代物。途中大変冒険あり、涙あり、次から次へと襲いかかる試練あり。それを全て俺たち兄弟で乗り切ろうぜ、といういう強い想い。書き出しているだけで心温まる。科学っぽい学術やレトロキュートなビジュアル、ハリー・ポッターの初期の頃の香りもほんのりしてくる。すでにゲームもアニメ映画もテレビシリーズもバンバン出ている「ハガレン」を親しい友達のように感じるファンも多いのではないか。

ご存知ない方のためにここでストーリーをおさらいしたい。幼い兄弟のエドとアルは天才錬金術師の家に育つも父は失踪。ある日、母親までも病気で亡くしてしまう。もう一度母に会いたい。その一心で兄弟は禁断の人体錬成を行なった結果、弟のアルは身体の全てを、兄のエドは左脚を無くす。アルの命までも持っていかれないよう、自分の片腕を差し出すエド。そしてアルの魂を父親の残していった甲冑に定着させる。こうすることにより、会話もできて一緒にいられる兄弟だが何せアルには肉体がない。二人はアルの身体を取り戻す力を持つ「賢者の石」の存在を知り、それを探しに旅に出る。途中、味方になってくれる者、強敵となって立ちはだかる者、様々なキャラクターと出会う。

2時間13分という尺の中で「ハガレン」の壮大なストーリーをサクサクと料理していく。

「ハガレン」シリーズは世界中で発売され、累計売上部数は7000万部を超えると言われている。原作者の荒川は漫画家として一本立ちする前は身障者のリハビリセンターで交通整理をしていた。オンラインのインタビュー記事のなかで荒川はこの仕事をしていたからこそ、「ハガレン」が描けたと言っているし、様々な義手、義足を目にしてエドがやがて装着する「オートメイル」と呼ばれる機械鎧を思いついたらしい。もうひとつ、「ハガレン」で特筆すべきは等価交換の法則。つまり自分の肉体を取り戻すためには、別の肉体と交換しなければいけないという信念にちかい概念が物語を貫いていることだ。エドはそのことが頭から離れず、苦悩する。仮にアルの身体を取り戻せるとして、その代償はどのような形で要求されるのか。

実写版の監督は曽利史彦。今でもファンが多い高評価の「ピンポン」を手掛けた実力者だ。2時間13分という尺の中で「ハガレン」の壮大なストーリーをサクサクと料理していく。イタリアのロケシーンは素敵だし、アクションも事件も盛りだくさんに詰め込み、「ハガレン」ファンでなくとも楽しめる構成になっている。監督が真摯な思いで原作のドキドキ感をスクリーン上で再生しようとしているのがわかる。

映画全体を牽引していくだけのカリスマ性が山田には欠けている気がするし、アクションもキレていない。

そうは言っても10年近く続いた「ハガレン」シリーズのスケールに監督は多少なりともたじろいでいるようだ。裾広がりな物語を収拾していくためなのか、キャストは少なめに抑えてある。兄弟の宿敵であるキング・ブラッドレイやスカーの姿が無い、これは残念。兄弟の幼馴染にしてオートメイルの敏腕技師であるウィンリィ・ロックベル(本田翼)の役どころがただのサポーター的かわいこちゃんになっているのもなんかいやだ。松雪泰子が「ラスト(色欲)」という名の人造人間として登場するが恐ろしいというより、胸の谷間がやたらと深くてステレオタイプのワルい女という感じだ。

しかし「ハガレン」のメインは何と言ってもエドだ。このあまりに重要な役を担うのはHey!Say!JUMPの山田涼介。でどうなの、彼はエドになれるの? 答えは上映時間の4分の1くらいは、というところだろうか。ビジュアル面でははまっている。小柄で、金髪。まるで「男」を感じさせない軽くて無臭な爽やかさ。しかし映画全体を牽引していくだけのカリスマ性が山田には欠けている気がするし、アクションもキレていない。原作とかアニメと比べるのは気の毒だがそれにしても飛翔感が無いのだ。

「身体」こそが「ハガレン」ストーリーの最大の魅力にしてセールスポイント

「ピンポン」ではあんなにフィジカルなシーンで観客を魅了した曽利監督だが、今回はCGに頼りすぎの感がある。そのせいでエド自身の動きは、彼の繰り出す(CGを駆使した)錬金術に対して見劣りしてしまう。石畳みの道路がめくれあがって怪物になったり、鉄柵が空から轟音とともに落ちてきてたちまち敵を囲ったり。この辺のペースはテンポよくてハリウッド的。しかしエド自身はじっとしていることが多いし、身体と感情のぎこちなさを補うかのように随分と顔のアップが目立つ。

でもそれはあまりに残念だ。なぜなら「身体」こそが「ハガレン」ストーリーの最大の魅力にしてセールスポイントだからだ。原作は人間の身体を称賛するとともに、からだの障害や怪我、欠陥やDNA組成、果ては宿命そのものを克服していく力強さを余すところなく愛で、エールを送り続けた。エドの内面は矛盾と怒りに満ちていて、それがしばしば彼の身体表現と直結していた。しかし、そういったことをスクリーンに叩きつけるには山田は可愛くまとまり過ぎているかもしれない。弟アルが甲冑になってしまい、表情一つみせることができない分、兄に真の意味での「生きること」を託しているのに。

全体を見渡せば「鋼の錬金術師」実写版の長所は少なくない。でもやはり、このストーリーを動かしているエンジンにガタがあることは否めない。ラストは続編を匂わせる終わり方だったのでほどなく、バージョンアップした「ハガレン」に会えるかも。それを待つ間、自分の宝物のコミックスを引っ張り出して、エルリック兄弟の旅路を再び踏襲してみるのも悪くない。