「ゲームはグラフィックじゃなくてゲームプレイこそ重要だ」といった意見をよく耳にする。だが、「ドラゴンクエストXI」3DS版をプレイすれば、グラフィックとゲームプレイが切っても切れない関係にあることを思い知ることになるだろう。

「DQXI」PS4版をレビューする際は「ドラクエだから」という論点から語ることを避けた上で、9.4点という評価に至った。だが、3DS版も同じ条件でレビューするとなれば、もう少し厳しい評価にせざるを得ない。それは「ドラクエであること」こそが本作の一番の売りになっていると感じられたからだ。

「DQXI」3DS版は実に興味深い実験といえる。異なるグラフィックスタイルのハイブリッドはそれだけでも珍しい。だが、壮大なスケールのRPGが全編を通していつでも2Dと3Dに切り替えられるのはもはや前代未聞だろう。序盤は上の画面では3D、下の画面では2Dが同時に表示され、それぞれいかに違ったゲームであるかを直に味わうことができる。何も見た目だけの変化ではない。NPCや建物の配置、物事のスケールや視野の広さ、敵の出現の仕方など、全体的に大幅な変更が施され、まるで違った体験だ。

序盤以降は3Dか2Dのどちらかを選んでプレイし、教会で切り替えられるようになる。なぜワンボタンでどこでも切り替えることができないのかと疑問に思うかもしれないが、場所によってはレベルデザインまで変わるので任意のポイントで切り替えればプレイヤーは方向感覚を失って途方に暮れてしまうだけだろう。「DQXI」のプロデューサーである齊藤陽介は「3本のソフトを作ったようなものだ」と発言しているが、それもあながち嘘ではない。

2Dモードは「おっさんたちのドラクエ」であり、3Dモードは「子供たちのドラクエ」だ。

そもそもなぜ複数のグラフィックスタイルで同じ物語、同じ世界を再現することに至ったのか。それはきっと、できるだけた多くの人に「DQXI」を遊んでほしいと思ったからに違いない。今はゲーム離れしている古株のドラクエファンにとって2Dのドット絵はしっくりくるだろうし、ドラクエといえば「モンスターズ」に「ジョーカー」のイメージが強い若い年齢層のユーザーは3DS版の3Dグラフィックにすぐに馴染めるはずだ。たくさんの人がこのゲームに触れるチャンスはもちろん歓迎すべきだが、結果としてどちらのグラフィックスタイルも「ドラクエ」の定着したイメージにのっているだけで、もう少しオリジナリティ、いうなれば「DQXI」ならではのテイストが欲しかった。2Dモードは「おっさんたち(筆者も含む)のドラクエ」であり、3Dモードは「子供たちのドラクエ」だが、僕は何よりも「開発者のドラクエ」が見たかった。

それはさておき、やはり2Dのドット絵はチャーミングだ。SFCの頃を彷彿とさせる作風で、町、フィールド、洞窟などは入念に再現されている。3Dと比べると臨場感に欠けるが、豊かな色合いとシンプルだが丁寧なデザインで不思議な世界観が構築されている。これぞ正統派のドラクエという意見も理解できる。だが、客観視すれば究極のドット絵とはいえない。世界観やドラマの細かい描写を想像で補うことに慣れている世代にとってはむしろこれくらいミニマリスティックなアートディレクションがありがたいのかもしれない。だが、昨今は「Owlboy」や「CrossCode」のようにドット絵の魅力をとことんと追求したインディーゲームも多い中、個人的にはドラクエの2Dからもさらなる進化を期待したかった。

ランダムエンカウント方式はゲームの流れを大きく変える。

2Dモードの場合は敵がフィールドに出現せずランダムエンカウント方式になる。つまり、フィールドを歩けば戦闘が自動的に発生する。これによって、レベル上げの仕方から生き残るコツまでが大幅に異なり、これもまたゲームの流れを大きく変える。例えば、PS4版や3DS版の3Dモードで一度もその必要に迫られなかったが、2Dモードに切り替えるとすぐに弱いモンスターをよせつけない呪文「トヘロス」をスキルパネルから学び、頻繁に使うようになった。

2Dの戦闘画面も懐かしさを煽るもので、画面の背景にはフィールドが広がったままになっている。モンスターは一列にきれいに並び、主人公と仲間は映らない。これもまたいかにも「ドラクエらしい」としか言いようのないスタイルで、バックグラウンドの絵が丁寧に描き込まれている職人芸はさすがと言える。

ドラゴンクエストXI

3Dモードに切り替えるとシンボルエンカウントになり、モンスターが実際にフィールドを移動する。モンスターは走り回ったり、飛び跳ねたり、寝たりして様々な行動をとる。筆者はPS4版について「このドラクエは、生きている」と書いたが、残念ながら3DS版の3Dモードにそれだけの臨場感はない。フィールドにはそれだけの壮大さがないだけでなく、モンスターのモーションもより単純で生活感はそこまで湧かない。

ドラゴンクエストXI

3Dモードは先述したように「モンスターズ」や「ジョーカー」と少し似たビジュアルを採用している。筆者はそもそもこのグラフィックの対象ではないのだろうが、鮮明でない景色やぼやけたキャラクターの表情は「DQXI」の魅力を最大限に表現できているとは客観的な視点からも言えない。6年前からある携帯ゲーム機向けに開発されたことを思えばいくらか仕方ない部分もあるが、3DSのローンチタイトルの中にすらもっと鮮やかな3Dグラフィックがあったように記憶している。

「ドラクエだから」の極みといえるすれちがい通信機能

2Dモードのワールドマップでしか見つけることのできない「かくれスポット」や「旅のおもいで」機能で重要なシーンを3Dと2Dで見比べる楽しさなど、3DS版ならではの要素も多い。だが、一番大きなものはなんといってもすれちがい通信機能だろう。3DS版で勇者は物語の途中からヨッチ村を訪れるようになり、そこでヨッチ族という可愛らしい存在を知ることになる。プレイヤーはヨッチを「時渡りの迷宮」というダンジョンに送り込み、そこでモンスターと戦って「冒険の書の合言葉」というものを入手する。そして、これを使って初代「ドラゴンクエスト」から「ドラゴンクエストX」まで、3個所ずつ訪れることができる。ドラクエファンなら心躍る内容であることは言うまでもない。だが、筆者はドラクエファンでありながらこの仕組みを最初から悲観していた。

ヨッチは世界各地にも隠れているが、すれちがい通信で他のプレイヤーのヨッチを仲間にするとより楽になる。ヨッチはFからSまでのランクがついており、高ければ高いほど強い。「時渡りの迷宮」は少し寄り道もできるが、概ね単純な構造になっている。途中にチェックポイントがあり、一旦身を引いて新しいヨッチを連れてくることもできる。ヨッチの管理がゲームプレイのカギとなるが、東京都内で30分程度電車に乗っただけで少なくとも30回はすれちがうので、何も考えずにゴリ押ししても冒険の書の合言葉は面白いくらいに手に入る。これは「DQXI」だけでなく、すれちがい通信そのものが抱えている問題だが、すれ違う頻度が地域によって異なる以上はゲームバランスを調整することが難しい。まあ、毎日満員電車に乗らなければならない僕らが得するのはこういうときくらいだし、こだわり派はすれちがい通信をせずゲーム内で見つけられるヨッチだけを送り込むという選択肢もあるので良しとしておこう。

それらは「別世界」ではなく「別ゲーム」への入り口のように感じられる。

冒険の書の合言葉をゲットしてサマルトリアの城(DQII)からユバール族の休息地(DQVII)まで、過去作の「名場面を正すゲームプレイ」は、割りとシンプルなサブクエストとして進行する。懐かしいのBGMと原作に近いグラフィック(とはいえ、作品によっては同じではない)になり、ドラクエのこれまでの歩みを近くで見た人にとっては感慨深いものだろう。これが別のゲーム、または資料館のようなものとして導入されていれば僕も高く評価したかもしれない。しかし、「DQXI」の中に別世界への入り口があり、そこは音源も違えばグラフィックスも違うとなってくると妙な違和感を覚える。なぜならそれらは「別世界」ではなく「別ゲーム」への入り口のように感じられるからで、ドラクエファンなら喜べそうな要素が無理に押し込まれている「商業的な匂い」がするからだ。そもそも、過去作はそれぞれ完結した作品でありーーリメイクならともかくーー簡単に再訪して気軽にサブクエストを攻略するのは重々しさが足りない。

では、3DS版がPS4版より優れている点はないのか? それはもちろんある。主に細かい点だが、数は少なくない。例えばロード時間はずっと短いし、旅を演出する上で欠かせない「仲間」は3DS版であれば一緒にフィールドを歩いてくれる。PS4版ではなぜか建物やダンジョンの中でルーラを唱えることができるが、3DS版で勇者の頭は「ちゃんと」天井にぶつかる。細かいことのようだが、ファンタジーの世界において、こういった呪文の「リアリティ」は世界の説得力に繋がる。

3DS版で勇者の頭は「ちゃんと」天井にぶつかる。

堀井雄二の独特なセンスが感じられるテキストも、ものによってはPS4の鮮やかなグラフィックよりも3DS版の2Dモードとの相性の方がよいと感じる。

もうひとつ特筆すべき点はモンスターの乗り物だ。臨場感ではかなわなくても、タイプによっては3DS版の方が自由度が高くて優れている。例えばスカルライダーはPS4版の場合、足跡のあるポイントでしか壁を登れないのに対して、3DS版では自由に壁を這うことができ、蜘蛛になったような感覚が味わえる。

だが、こういった細かい点で3DS版が劣るところもある。僕が個人的に一番気になったのは3DS版のジャンプ操作だ。操作系に問題があるのではなく、ジャンプする行為がまったくもってして無意味であることに違和感を覚える。超えられる障害物がないだけでなく、低い段差から飛び降りることすらできないのだ。2Dモードとの連携がある以上はレベルデザイン的に難しかったのかもしれないが、それならジャンプ操作をカットしてもよかったと思う。そして、この問題はパールモービルというモンスターの乗り物とも繋がっている。パールモービルの醍醐味は高くジャンプすることだが、3DS版ではパネルの上に立って自動的にジャンプするだけなので、そのダイナミックさがまったくもってして失われてしまっている。

ストーリーと世界の魅力

3DS版が映像面でPS4版に劣ることは読者もこのレビューを読む前からわかっていたはずだ。だが、僕が強調したいのはそれが「DQXI」という体験を全体的に大きく左右することだ。PS4版を高く評価した主な理由は、冒険の舞台であるロトゼタシアが生きているように感じられ、魅力で溢れていたからだ。ところが3DSで見るロトゼタシアはまるで別の世界だ。それはそれで魅力的な場所だし、人によってはPS4版よりもしっくり来るはずだが、やはり同等の評価を下すことはできない。だが、それでも僕は3DS版の存在をありがたく思っている。ロトゼタシアが懐かしいテイストのドット絵で一から作り直されているのはファンとして心が躍るし、PS4版より買い求めやすく移動中でもプレイできる3DS版は「DQXI」の普及に大いに貢献しているといえる。序盤からスリリングでせつないエピソードも豊富なストーリーは3DS版でも引き込まれるはずだし、クリア後の充実した世界もぜひとも訪れてほしい。

作品の本質は失われていない、その魅力はもう少し控えめになっているだけだ。