本作の観賞を行なった上でレビューを作成して欲しいと編集部に依頼された時は、映画の印象的な場面について、またはネタバレのない範囲で本作にまつわるなにかメッセージのようなものについて触れてみよう、などと考えていた。

試写室での観賞後、一体何を書くべきかと頭を抱えてしまったのが正直なところだ。そういった何らかの要素について一つ一つ語るということ全てが、本作にとって無粋なことだからだ。喜べ、本作はバカ映画である。良いじゃないか、今こうして本作に興味を持ってこの記事を読み始めた諸君は、これ以上何も情報を入れることなく素直に楽しんで欲しい。一つだけ付け加えておくなら、よく笑うために日本史に関する最低限度の知識があるとよいだろう。『戦国無双』を遊んだことがある、というレベルで構わない。

6月15日(金)に公開が予定されている『ニンジャバットマン』。戦国時代の日本にタイムスリップしたバットマンが、日本を支配し、歴史を改変することを企むジョーカー達と対峙する作品だ。

ニンジャバットマン レビュー

頭を使わず、脳に流れ込む膨大な情報をただ受容することを要求される本作は、ウェットな感情に訴えかける複雑化したアメコミ映画に慣れきった諸君には少し面を食らってしまうかもしれない。だが、私たちが胸を躍らせるのはこういう作品だったはずだ。尾張国(おわりの国)の第六天魔王ジョーカーを中心に据え、『アフロサムライ』の岡崎能士によって戦国ナイズドされたヴィラン達が各地方の武将に成り代わるというプロットにワクワクしない人間はいるのだろうか。日本画のようなビジュアルをしたキャラクターたちの絵柄も、本作ならではと言ったところだろう。

『PSYCHO-PASS』などでおなじみ菅野祐悟による美しい音楽もSFと和のコラボレートをより印象づける
アガる映像の数々に酔いしれる。

上映時間85分という近年の映画としてはタイトな短さだが、その中には十二分に魅力が詰まっている。短くもなく一切間延びもしないのだ。テンポの良いアトラクションのような展開に一気にノることができるし、神風動画が創り上げるアガる映像の数々に私達は酔いしれてしまう。

豪華な声優陣たちの演技も本作の質をより高めている。特に山寺宏一演じるバットマンと高木渉演じるジョーカーの掛け合いはどこをとっても緊張と弛緩のバランスが巧みで、ベテランのベテランたる所以を実感せざるを得ない。あるヴィランの容姿に紐ついたイースターエッグなど、気づきにくいが配役にも工夫が凝らされている。これは個人的な感想だが、観賞までに本作の脚本を手がける中島かずきによる『天元突破グレンラガン』と、神風動画も関わるアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 第一部』について少し触れておくと良いかもしれない。

アクションシーンでの映像はCGアニメというよりもむしろアクションゲーム的で、各カットが比較的に長尺で描かれ、カメラ演出も気持ちいい。『バットマン アーカムシリーズ』を彷彿とさせる流れるようで良質なアクションと、日本産アニメだから描くことのできる超常的で(ぶっ飛んでいて)見応えのある動作はまさにいいとこ取りである。物語が始まってすぐに描かれるバットマンとジョーカーの戦闘シーンでは、ニ者の流れるような動きと見え切りのような止め絵演出が幾重にも連なり、それを観た私は幼稚園児と同レベルの感想しか抱くことができなかった。かっこいい!!

ニンジャバットマン レビュー

アクションがただ派手なだけというわけではなく、驚きの展開や演出が多く用意されているから、その辺りについても信頼を置くことができる1本だ。バートン以降受け継がれていたコミックとは少し距離を置こうとするフィルム版バットマンの潮流とは異なり、本作はかなりコミックに寄った作品でもあるから、原作ファンも要注目といえるだろう。

ニンジャバットマン レビュー
コミカルな展開やビジュアルも多い。日本にワープした直後のある道具を使ったギャグは笑いどころ

孤独な存在、フリークとしてのバットマン

正直なところ、本作を観て「こんなものはバットマンじゃない!」「バットマンでやる意味がない」という感想を抱く人も少なからずいるはずだ。その感性自体を否定することはできないが、映画史におけるバットマン観の変遷の上で、必ずしもそれが正しいとはいえないことは確かだ。

そもそも、これまでにバットマンは様々な人間たちによって映像化がなされてきた。古くは1966年版やそれ以前から存在するが、コメディという枠を逸脱した作品としては1989年のティム・バートン版『バットマン』が始まりと言えるだろう。ちなみに、66年版は本作や後に語る『バットマン・リターンズ』に大きく影響を与えているが、それはまた別の話だ。

ニンジャバットマン レビュー

バートンはコミックを参考にせず、独自の視点でバットマンを描くことにこだわった。バットマンを自らと同一視し、孤独な狂人として彼を描くことでバットマンとフリーク(ヴィラン)に本質的な違いはないという解釈をしたのがシリーズの特徴だ。

特に2作目となる『バットマン・リターンズ』では、バットマンは自身のことをフリークとはっきりと認めることになる。そこにスーパーヒーローという題目はありえない。ペンギン、キャットウーマンという2人のフリークとの出会いを通じて、バットマンは自らと“普通の人”との違いを痛感することとなる。

ニンジャバットマン レビュー
仮装パーティに素顔で現れるブルース・ウェインは象徴的

一方、続くノーランの『ダークナイト』ではバットマンとヴィランの関係について、より現代的な解答を示している。この作品のヴィランであるジョーカーにとってゴッサム・シティを支配することや、バットマンを倒すこと自体は目的ではない。正義というものの存在を否定すること、バットマンに一線を越えさせることが目的だ。

ニンジャバットマン レビュー
トム・クルーズによる『ザ・エージェント』の名シーンを想起させる

ノーラン版以降、バットマンには不殺の誓いというものが存在する。これはバットマンと他のヴィランを区別するための生命線だ。この誓いを破らせて(その対象がジョーカー自身であったとしても)人を殺させることによって、ジョーカーは彼から正義というものを剥奪しようとした。バットマンとヴィランをイコールの存在にしようとしたのだ。

しかし、バットマンはジョーカーを決して殺そうとはしない。彼は孤独な存在であり、確かに本質的にはヴィランとは変わらないかもしれない。だからといって、それを漫然と受け入れようとはせずに自らを律すること、それがルールや規範に満たされたこの世で生きていく上では重要であると、一つの新しい答えを導いた。だからこそ、彼はヒーローでもヴィランでもない、「ダークナイト」なのである。

孤独なフリークから、信頼されるヒーローへ

バットマンがノーランの手を離れた後に、フィル・ロード&クリストファー・ミラーが『LEGO バットマン』を作り上げる。留置場でのバットマンとジョーカーの会話内容を基に、『ダークナイト』の解釈をアップデートした作品だ。

ニンジャバットマン レビュー
実写であれば観ていられないが、LEGOという幻想が哀愁漂う描写へと再構築する

この作品では、これまで以上にバットマンとその周囲、そしてヴィランとの関係性について深い言及を行う。その結果、彼は先延ばしにし続けていた根本的な問題そのものを解決し、仲間に恵まれたスーパーヒーローへと一歩踏み出すことになる。これは彼のアイデンティティそのものを揺るがす禁忌的な成長ともいえるだろう。この成長を経て、映画史におけるバットマンへの舵取りがはっきりと変化したように思う。後の『ジャスティス・リーグ』において、彼を中心として「戦隊」を作り上げることも、こうした一連の繋がりによる狙いであると推測せざるを得ない。

ニンジャバットマン レビュー
そのしかめツラは何だ? 笑顔にしてやるぜ

YOU CAN’T SAVE THE WORLD ALONE(世界は一人じゃ救えない)

さて、これらの経験を経て、バットマンは孤独から解放されて真のヒーローへと成長を遂げた。彼が何かを悩む理由は既にない。

実際、『ニンジャバットマン』では85分の短い上映時間の中で、彼が苦悩するシーンはわずかしかない。物語冒頭でいきなりゴッサム・シティから中世の日本にタイムスリップし、手元にガジェットもないという絶望的な状況であるにもかかわらずだ。彼はくよくよすることもなく、むしろ現状を楽しんでいるようにすら見える。それが本作のテンポの良さをより高めるのだが、一方でこうした描写がバットマンらしくないとも思えるかもしれない。しかし、これまでの流れを踏まえると当たり前ともいえるはずだ。彼にとって“最高のガジェットとは仲間である”からだ。

ニンジャバットマン レビュー
ロビン、ナイトウイングをはじめとするコミックやゲームではお馴染みのキャラクターも集結

その証拠に、彼の周りには自然とキャットウーマンやアルフレッド、ロビンやナイトウイングといった仲間が集まり、加えて現地でニンジャを率いることになる。それは『ジャスティス・リーグ』で築いた戦隊ヒーロー集団を越えて、軍隊といった表現のほうが適しているだろう。予告編で城から手が伸びているようなイメージが公開されていたが、こうした彼に関する変化や、日本が舞台ということから考えてみても、このようなギミックが登場することは自然なことのように思う。スーパーヒーロー戦隊と日曜朝7:30――あるいは朝9:30――の親和性は高いのだ。

唯一不満点をあげるとすれば、この文脈に乗っかっているにもかかわらずヒーローとしての活躍ぷりに欠ける点だ。本作は、上映時間のほぼ全てをジョーカー達との戦いに捧げている。このため、せっかくの日本というロケーションにもかかわらず、現地の一般人とのふれあいや救出譚などは極力オミットしてしまっているのだ。『ジャスティス・リーグ』では、戦いの最中においてもヒーローとして直接的に人を助ける精神を忘れていなかったことが評価に値するが、本作でもそのような描写が必要だったように思う。ヒーローものは人を救ってなんぼという子供心に従ったゆえの結論だ。

ニンジャバットマン レビュー
映像では共演の機会が少なかった二人の対決も見ものである

劇中、ジョーカーは「(バットマンを殺すためには作戦の)出し惜しみはしない」という口上を述べる。本作はこの台詞通り、上映時間の冒頭からクライマックスな展開の応酬のようなトリガーハッピーな作品となっているから必見だ。