リック連盟が「ウォーキング・デッド」シーズン8でニーガンに対して長い戦争の火蓋を切ってから、両者の対決は遅々として進まなかったが、ミッドシーズン・フィナーレになって重大な危機が訪れた。欠点もあるが、「暗夜の口笛(原題:How It’s Gotta Be)」は基本的に刺激に満ちた激しいエピソードだ。

「ウォーキング・デッド」シーズン8「暗夜の口笛」 レビュー

過去の7話分と決定的に違うのは、「暗夜の口笛」が番組にとって本当に重要な出来事とその結果を届け、また(番組の最初期から登場しているあのキャラクターの致命的咬傷をもって)これまでにない“完結”の感覚をもたらしている点だ。今までのシーズン8では群鶏一鶴と言えるだろう。ただし、激突の真っ最中に“完全”な完結を迎えた要素はまだ何もなく、シーズン後半まで持ち越されるプロットも多い。

「ウォーキング・デッド」シーズン8「暗夜の口笛」 レビュー

これまでのシーズン8の構造はフラストレーションを引き起こすものだったが、不幸なことにミッドシーズン・フィナーレに関しても演出と段取り、ペース配分の問題が数多く存在する。シーズン8で初めての夜が訪れ、「暗夜の口笛」の大半のシーンは夜に発生するので(ここでもう一度私の疑問を提起したい。第1話から全てのことが一日のうちに起こっているのか? もしそうであれば、なぜ救世主はすぐに物資不足の状態に陥ったのか?)、エピソード全体の視覚的な“見通し”がかなり悪くなっている。複数の場所が同じように見えながら、多くの出来事が同時に、そしてバラバラに進行している(最も、時間の感覚が非常に曖昧なので、それらのイベントが同時に発生しているという確証もないのだが――私たちが確かに分かっているのは、全てが終わった後でリックが現れたことしかない)。サイモンが部下を止めて自分で銃を撃つ一幕があったが、そのシーンは明らかにジェリーが殺されるために演出されていたのに、実際に銃殺されたのは(私が完全に忘れ去っていた)マギーの車の後部座席にいた男だったので、納得のいかない感じも残った。
救世主たちの反撃とそれによる個々の重大なシーンは、断片として視聴者に届けられている。2分間マギーを観て、1分間王国を観て、そして数分間カールを観る、というような感じで、一気に流れるはずだった怒涛の勢いがだいぶ削られてしまった。ひとつのシーンを分かりやすく、そして気持ち良く、最初から最後まで丸々見せてほしかった。断続した切れ端のような奇妙な段取りは全く要らないし、時間稼ぎ(?)のために見せつけられる一人ひとりの顔のクローズアップも本来なら無用の長物だ。そしてもう1点、どうしても納得できないところがある。全てがめちゃくちゃになって大勢の人々の命が脅かされた原因を作った張本人が、危ない目に全然遭わず楽々と難を逃れたのは、実に胸糞悪い。もちろん、私は「ダリル」のことを言っているのだ。都合が良すぎると思ってしまうほどのダリルの(所業に見合わない)強運も注目すべき問題点だろう。

ダリルもタラも自分たちの軽率な作戦のせいで救世主が自由になってしまったのではないかと少し動揺していたが、ロジータは逆に彼女も間違いをするから気にすることはないと慰めてあげた。え? 彼らの作戦を無謀だと思って、ダリルに警告して真っ先にそのチームから抜けたのはロジータ自身じゃないの? 結局、ロジータはダリルを積極的に阻止せず、今の大災難に繋がったわけだが、この期に及んで彼女はダリルを全面的にかつ無条件で許した。直接の“犯人”がユージーンだから、ダリルとタラは無敵の免罪符を手にしたって? これは物事を学べる環境ではないぞ。ダリルは来年の2月以降、また何かをやらかす可能性が大いにある。

 

そうは言うものの、私の(多くは番組の構成に関する)不満を横に置けば、このエピソードは確かに輝いている。ここでまずカールと彼の(やがて訪れる)死について話したい。まあ、カールの死が確定して「ざまあみろ」と喜んでいる人が多いことは知っている。理由はそれぞれ違うであろうが、大半はただ彼の髪型や帽子が嫌いだけだったのかもしれない(なんて可哀想な子だろう)。しかし私はカールに対して全く嫌悪感を持っていない。少なくとも、シーズン2で結果的にデールを死なせても、大惨事は起こらなかった。愛した人たちも目も失って、カールはもう十分に罰を受けたはずだ。そして数々の恐怖を経験して今まで生き残り、サバイバーとしても及第点をクリアしている。私はありのままのカールで良いと思っているからこそ、彼を失うことがとても大きく感じられた。

多くのファンと同じように、私はカールが死ぬだろうと予想できていた。シーズン・プレミアでリックの涙がカールのためのものだって主張した人もいるが、私は前の週にすでに彼の死を確信していたような預言者ではない。しかし、「暗夜の口笛」の序盤を観終わるまでに、カールの死は確実なものになってしまった。冒頭から、彼はずっとモラルについて話している。倫理と“未来”について自分の父親にレクチャーしているし、このエピソードの原題「How It’s Gotta Be(そうしなきゃいけないだろう)」も彼の発言から来ている。「ウォーキング・デッド」の“法則”を知っている人なら、すぐに分かるだろう。もう終わりだ、と。この番組では、現状より“良い生き方”を語ったり、楽観主義を見せたりした人は、ほぼ間違いなく死ぬ。前例はいくらでもある。デール、ハーシェル、ボブ、タイリースなど、枚挙にいとまがない。この場合、特定のキャラクターの死は生きていく他の誰かの原動力になる。カールの死に関してはこの「誰か」はおそらくリックだろう。

 

2週間前のレビューで、私はカールが(特に意味もなく)ウォーカーを始末するセディクに協力するために危うく命を落とすところだったことを述べた。そして今、カールが見せた慈悲と友愛の精神と試練は本当に(言葉通りに)彼を殺したようだ。少なくとも、カールの死はセディクと関係があるだろう。ミッドシーズン・フィナーレの前に、カールはすでにウォーカーに噛まれていたのだ。この点こそがカールの死というプロットの素晴らしいところである。彼はもう十中八九このエピソードで死ぬが、どうやって死なせるのか? 彼は混乱の中で、どうやって外に出たのか? この謎を解くために、番組は1話分だけでなく、複数のエピソードに跨るナイスなヒントを与えてくれている。カールは大胆で、勇敢で、他の人々を救うために自分の命を差し出す用意ができていた。だって彼にはもうわずかしか時間が残されていないのだ。カールの行動は結果的にニーガン軍の進撃を遅らせたが(実際、一部にはその意図もあったが)、彼の動機は決してそれだけではなかった。もし、自分の死が他の人々の生を意味すれば、本当にニーガンと合意を達成できれば、彼はいつだって殺される覚悟ができていた。これは――それ自体においても、番組全体においても――かなり素敵な瞬間だった。

カールの死が分かった私は当初、彼が一連の派手な爆発に巻き込まれてしまうのではないかと推測していた。目がくらんでいるときにウロウロしていたら、カメラが下方へパンして、腹からはみ出したはらわたとか上肢がなくなった胴体とか、致死的な何かを見せてくるかと思っていた。しかし真実は私たちを驚かせる、全く別のものだった。近年、「ウォーキング・デッド」は重要キャラクターの退場を抑える“ぶりっ子”となっているが(特にシーズン6のグレンの“仮死”を見せたカメラの配置は甚だしかった)、死を装うことなく見事な死を遂げるカールの場合においては、卓越したディレクションが見られた。

アレクサンドリアの壁の内側に本物の危機が訪れたとき、「ウォーキング・デッド」は俄然素晴らしい番組になった。爆破されて炎の中で倒壊する多くの建物、町中が火煙に覆われカールのグレネードが爆発する中で嵐のように襲撃を繰り広げる救世主たち、リックとニーガンのエキサイティングな一騎打ちなど(私は以前、リックが「時には圧倒的な強さを見せ、時には簡単に負かされる」と書いたが、一体リックは戦闘員として本当に優れているのか? 確かに最近の活躍を観ると、昔よりは強くなったように見えるが)、20分間にわたって番組は私たちの目を楽しませ続けた。ただし残念ながら、多くの要素が中途半端になっている状態でこのエピソードが終わってしまった。イーニッドがオーシャンサイド(浜辺の村)のリーダーをうっかり銃撃してしまったこと(あらら)や、マギーの医師と(たぶん)一緒に逃げ出したゲイブリエル、救世主に捕まったエゼキエルと王国の外にいるモーガンとキャロルなど、数えたらキリがない。それら全てが、来年2月下旬までお預けになってしまった。