「ジグソウ:ソウ・レガシー」については、良いニュースと悪いニュースが一つずつある。良いニュースは、本作が今年で最低のホラー映画ではないということ。そして悪いニュースは、最低ではないということを“良いニュース”と言うには、本作が十分に出来の悪い映画だと言うことだ。

長く続いている「ソウ」シリーズは、映画業界で最も一貫性のあるホラーのフランチャイズの一つだ。クレイジーな殺人マシンや驚異的に込み入った物語を見るために「ソウ」の映画を観てきた人は、毎回楽しめてきたに違いない。

ジグソウ:ソウ・レガシー レビュー
しかし、いわゆる「完結編」である「ゾウ ザ・ファイナル 3D」のリリースから7年も経ってから公開された今回の新作「ジグソウ:ソウ・レガシー」は、まるでその制作陣が「ソウ」の強みを完全に忘れてしまったかのような出来となっている。新しい殺人トラップはシリーズに登場した他の装置と比べてぱっとしないし、脇へと追いやられたジョン・クレイマー(トビン・ベル演)とその信奉者たちの物語は、遥かに壮大なレガシーの中における“注釈”のような代物に取って代わられた。

ジグソウ:ソウ・レガシー レビュー
プロットは、「ソウ」と「ソウ5」の残り物、そして「ソウ」シリーズのあちこちの切れ端の寄せ集めだ。もし新しい「ソウ」映画を既存の素材から組み立てたい人がいるとすれば、「ジグソウ:ソウ・レガシー」の中ですべての基本要素を見つけることができるだろう。通常なら、それでも結構面白い映画が作れるはずだ。しかし残念なことに、本作にはそれらの要素を上手く機能させる手腕が決定的に欠けているのだ。

ジグソウ:ソウ・レガシー レビュー

これまでの「ソウ」映画は、印象的なみすぼらしい舞台を活かして、役者たちの迫真の演技を見せてきた。性質の悪い地域の中で、どの建物も汚れていて、ジグソウの殺人トラップが散らばっているのに、意外とアットホームな雰囲気もあった。

ジグソウ:ソウ・レガシー レビュー

 

一方、「ジグソウ:ソウ・レガシー」の印象はと言えば、清潔で無機質で、過去作と比べてかなり“客観的”な感じがした。この“客観性”のせいで、本作は犠牲者の立場として観客を感情移入させることに失敗している。犠牲者をただ見つめるだけの観客はたとえ「興味」を引かれても、自分が物語に「没入」することはない。一連の奇怪な出来事が揃っていても、それらを心の底からの恐怖へと昇華させる制作陣の努力が感じられないのだ。

ジグソウ:ソウ・レガシー レビュー

さらに悪いことに、「ソウ」史上で初めて、映画の制作者が自分たちのいつもの得意分野に対してさえ大した関心を持っていないようだ。過去作のように、死が観客の足元をすくって、意地悪な歓声を発することはない。「ジグソウ:ソウ・レガシー」は一通りの“基本動作”を示しているに過ぎない。「ソウ」をあれほど魅力的でダイナミックなシリーズにした大事なものに対する関心は決定的に欠落している。以前には遥かにあか抜けていた名作シリーズの続編として、本作はあくまで“型通り”という最低限のレベルにしか達していない。