オリジナル版の「クーロンズゲート」は、1997年にソニー・ミュージックエンタテインメントから発売された、今も昔もかなり異色のサイバーパンクなファンタジーアドベンチャーだった。その世界観の土台は、さらに振り返ること1993年に、イギリス領からの中国への香港返還が迫る中に取り壊しが開始された「九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)」をモデルに作られている。

あふれだす人々の熱気と狂気を体現するかのように、ネオンがきらめき、独特の魅力を放っていた

アヘン戦争から始まる複雑な経緯を経て「九龍城砦」と呼ばれるようになった晩年には、「1歩足を踏み入れたら出られない」と言われるほど無造作に鉄筋コンクリートの建造物が建ち並ぶ巨大なスラム街となり、いつしか「アジアンカオスの象徴」とまで言われるようになった。昼はジャングルの草木のように鬱蒼と人工物が絡み合う中、あふれだす人々の熱気と狂気を体現するかのように、日が落ちればそれを辺り一面のネオンがきらめき、独特の魅力を放っていた。

クーロンズゲートVR suzaku レビュー
「クーロンズゲート」が解釈したネオン街は完全再現されている。

その影響は「クーロンズゲート」以外にも、世界的にも人気の高い人気コミックの劇場版「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」や、ドリームキャストで発売された「シェンムーII」などにも影響を与えるなど、完全に取り壊されて綺麗に整備された今もなお、「九龍城砦」は人々の心のなかに生き続けている。

そんな「九龍城砦」の街並みだけではなく、そこに根付く人々の内面を強烈に体現したかのような、異彩を放つ個性豊かなキャラクターが多く登場したしていたのがオリジナル版「クーロンズゲート」だった。キャラクターの中には、男性のお尻と局部で作られた感じの「鍵男」が存在したり、体力の回復アイテムが「男油」など、異常とも言えるほど特殊な世界観を持っていた。しかし、だからこそ多くのコアなファンを獲得することにも繋がり、「クーロンズゲートVR suzaku」が誕生する原動力にもなった。

クーロンズゲートVR suzaku レビュー
色物のキャラクター以外にも、ちょっとカッコイイキャラクターも登場する(左上の小窓に映っているのはオリジナル版のスクリーンショット)。

雑多としたサイバーパンクな世界観に魅力を感じないと、プレイし続けるだけでも辛いかもしれない

とはいえ、今作はあくまでオリジナル版の世界観をVR上で楽しむだけの環境ソフト的なような側面が強く、ゲーム的な要素はほとんどない。そのため雑多としたサイバーパンクな世界観に魅力を感じないと、プレイし続けるだけでも辛いかもしれない。今回のレビューでは「クーロンズゲート」の再現度や内容はもはもちろんのこと、今回かなり長めに取った前置きで述べたような、本来「クーロンズゲート」で表現をしたかった「九龍城砦」としての魅力や、それによってはどのように感じるか、についても軽く触れていく。

ちなみに筆者は、これまでオリジナル版のプレイを避けていた。当時からキャラクターと世界観に強い関心を示していたのだが、浮遊するようにクーロンの街並みを移動するため激しい3D酔いを起こすと聞いていたからだ。しかしPS VRで鍛え上げられた三半規管を引っ提げて、レビューを機にPSアーカイブス版で世界観の予習を行った。そして、三半規管は玉砕したが……。

「コレは駄目だろう」と愚痴をこぼしながらも独特の世界観を堪能しつつ、ひとまずVR版に収録されている街並みをひと通り見学できるところまではプレイした。そして満を持して、PS VRを装着してゲームを起動すると「まだ VRヘッドセットをかぶらないで下さい。」と怒られた……気合いを入れていただけに少し悲しかった。

クーロンズゲートVR suzaku レビュー
VRゲームでまさかの注意メッセージ。

まず「VRを外して写真の場所をじっくり覚えてね」というわけだ……が、正直これは面倒くさい

怒られた理由はオリジナル版になぞらえたVR版のシステムがあるためだ。これは現世(モニター)上で偶然拾った1冊のアルバムの古ぼけた写真を頼りに、別世界の陰界(VR)にあるクーロン(街)で写真と同じ場所を探してて念写するというもの。そこでまず「VRを外して写真の場所をじっくり覚えてね」というわけだ……が、正直これは面倒くさい。

1回の街の探索は、素早く攻略だけを行えば大体3~5分ぐらいで終わるため、その都度PS VRを装着したり外したりとかなり忙しい。まずクーロンの街をゆっくり見学することそのものを楽しみながら、「おまけとして念写というクリアの概念を用意してある」というコンセプトはいいのだが、そのままVR上で新しい写真を調べさせてくれと言いたくなる。

そして最初の写真をジックリ記憶し、今度こそVR世界にあるクーロンにダイブしていく。重厚なサウンドの初代PSを思わせる起動演出で始まり、独特のエスニックな叫び声と共にVR化されたオリジナル版のオープニングムービーが流れる。この演出は熱心なファンでなくとも鳥肌が立ち、これから何が待ち受けるのか否が応でも期待が膨らんだ。

プレイの度に見せられるので、ちょっと飽きるかもしれないが。

目に入ってくる映像と耳から入ってくる環境音の情報量のギャップが大きすぎて、寂しさを感じてしまう

クーロンの街並みは非常に暗く、オリジナル版と比較すると「暗すぎるのでは?」と思う反面、元となる「九龍城砦」として見た場合は非常によくできていると思う。しかし何かが足りない……なんだ? 元の「九龍城砦」に引けを取らないような暗く汚く味わいある街並みなのに、この空虚感は……。それは音だ! 人はいるのに、現実では聞こえてくるはずの人々のざわめきなどの生活音がほとんどなく、目に入ってくる映像と耳から入ってくる環境音の情報量のギャップが大きすぎて、寂しさを感じてしまうのだ。

ここを大きく変化させるとオリジナル版の雰囲気を大きく壊すことに繋がりかねないが、それを差し引いても寂しい。加えてクーロンの街並みに登場するキャラクターは、近づくとこちらにほほえみかけるなど簡単なリアクションを取るキャラクターもいるが、基本的に棒立ちだ。仮に動いたとしても、ドット時代のRPGのキャラクターのように決められたルートを動くだけのキャラがほとんどで、これでは寂しさを感じるのも当然だろう。

クーロンズゲートVR suzaku レビュー
声は聞こえないがキャラクター同士の会話の様子はうかがえる。それは幽霊的な視点でクーロンの住人たちを覗き見る感覚に近い。

オリジナルでの出来事をフラッシュバックさせながらクーロンの街並みを楽しめる

それでも一応、機械や蒸気など街そのものが息づく息吹とも言える様々な音があらゆる方向から耳に飛び込み、キャラクターの登場シーンや街並みの演出なども再現している。そのため、特にファンならニヤリとさせられる場面が目白押しで楽しませてくれる。が、流石にそれだけではちょっと足りない。

オリジナル版の展開に添う形で歩けるクーロンの街が少しずつ開放されていき、念写する場所はオリジナルで特徴的だった場所やキャラクターが多く設定されている。そのため、オリジナルを知らないプレイヤーでも序盤は分かりやすく、テーマパークのような感覚で息づく街並みを体感できて、ファンなら特に容易にその場所を特定するだけでなく、オリジナルでの出来事を想起しながらクーロンの街並みを楽しめる。

クーロンズゲートVR suzaku レビュー
街の中には思いがけない仕掛けが眠っていることもある。

探索のなかで唯一のゲーム要素の念写は、序盤こそ簡単なのだが終盤になるとかなり難しくなり、オリジナル版のプレイヤーもその場所を見つけるのは容易ではなくなる。しかもその場所に行くには、色々な場所に移動してフラグを立てて道筋を作る必要もある。色々な場所を歩き回った後にうっかり写真のイメージを忘れようものなら、再びPS VRを外して端末画面とにらめっこしたのちに最初から歩き直さないといけないため、そのときの精神的なダメージは計り知れない。

クーロンズゲートVR suzaku レビュー
剥きエビを複数消費して新しい写真(ステージ)を開封。写真の選択はステージセレクトとイメージすると分かりやすいだろう。

このバランスは、今作の性質上ゲーム性と言うより拷問に近いものを感じてしまう

1度攻略してしまえば2度目はない非常に単調なゲームだが、念写をする場所(ステージ)は多くあるため思いのほか長時間楽しめる。しかし、ゲームシステムの念写を行うためのエネルギー源とも言うべき「剥きエビ」拾いに大きな問題を感じた。

最初は数個で事足りるのだが、ゲームが進むにつれて必要となる「剥きエビ」の量が増えていき、ゲームの終盤には「剥きエビを探すために街を練り歩く」必要があるほどで、それが終了すれば再び念写の場所を求めて街を練り歩く……と、ただでさえ単調なゲーム性に拍車をかけている。そしてこのバランスは、今作の性質上ゲーム性と言うより拷問に近いものを感じてしまう。

クーロンズゲートVR suzaku レビュー
特に終盤では念写をする場所探しで手一杯になるため、「剥きエビ」拾いが苦痛になってくる。

理由はとにかくVR酔いが酷いためで、筆者は30タイトル近くVRコンテンツに触れてきたが、その中でも飛び抜けてキツい部類だった。それはオリジナル版の3D酔いに習ってのもの……ではないだろうが、そう思い起こさせるほどのとにかくキツい3D酔いだ。歩き始めた瞬間から脳がグルグル回り始める感じで、VRの脱着による休憩を挟んだとしても、連続でプレイできるのは1日1~2時間が限度だろう。

酔う理由は、今作のように1人称視点でのプレイでは、例えば鼻の頭など視線の基準となる物体が無いため、現実で歩くときとの感覚の違いがより強調されてしまい脳が混乱するという仕組みだ。一応画面中央に緑の点が表示されるのだが、それにかなり意識を集中しないと酔い止めの効果が発揮されないため、背景を楽しむどころではなくなり本末転倒になってしまう。

ゲームの進行により発生する変化は、通れる道や場所、人物にが少し違いが出る程度なのだが、VRでは人とすれ違うだけでも心臓が高鳴る独特の緊張感が発生する。そういった小さな変化でもより高いリアリティを持って感じ取ることができるため、意外と飽きることなくVR世界のクーロンの街並みを、常に新鮮な感覚で散策できる。たとえゲーム性がもっとシンプルになっていたとしても問題なかっただろう。

もの凄く単調な行動の繰り返しとなっているが、不思議と魅了されてVR特有のなんとも形容しがたい魅力にあふれている。強烈に引きつけられるわけではないが、後ろ髪を引かれる感じで気がつくとクーロンの街を散策している自分がいる。非常に度胸のいることだと思うが、筆者としては余計なことは考えず、街中の環境音の物足りない部分やステージ毎の街並みの変化など、貪欲に息吹を感じるクーロンの街をもっと作り込んでほしかった。

クーロンズゲートVR suzaku レビュー