本レビューには「OneShot」のネタバレ要素が多少とはあれ含まれる。少しでも気になる方は下のトレイラーを見てすぐさまゲームを始めるべきだろう。


 

明かりの消えた部屋で、猫の特徴をもった幼子が目を覚ます。部屋のなかにはコンピュータや本棚、それまで幼子が眠っていたベッドなどがある。ゲームはRPGツクール製らしい見下ろし型の三人称視点で、プレイヤーはこの猫を動かすことができる。あなたはコンピュータのパスワードを部屋のなかで手に入れて、ディスプレイの前に立つだろう。視点が切り替わり、おそらく猫が覗いているディスプレイの映像が浮かび上がる。

OneShot

ディスプレイのなかには古い時代のWindowsを連想させるようなデスクトップが表示されており、ポップアップウインドウにこんなテキストが表示される。「すでに手遅れだ。世界のほとんどが崩壊した。外に出てみればわかるはずだ。この場所に救う価値はない。……それでもやってみるか? なら、この事を忘れるな。君の行動はニコに影響する。君の「使命」は、ニコが帰れるように手助けすることだ。そして最も重要なことは……」

このポップアップウインドウは、ゲーム内のコンピュータではなく、筆者のコンピュータのWindowsが表示させたものだ

すべてのプレイヤーはこの時点で、このゲームがごくふつうのRPGツクール製の謎解きゲームではないことに気が付くだろう。プレイヤーは「ニコ」という名前の猫の子供を導いて、さらに部屋のなかを探す。奥まったところに巨大な電球があるのだが、ニコがその電球を拾い上げると、電源もないのに光り出す。部屋の外に出ると、星一つない完全な暗闇の空のなかに、高い塔がそびえているのが見える。地面は砂漠のようで、いたるところに電源の切れたロボットが転がっている。

神としてのプレイヤー

しばらく歩いていると、ニコはまだ動いているロボットと出会う。そのロボットはニコが抱えている電球を見るなり、「この世界へようこそ! アナタサマこそが、ワタクシたちが待ち望んでいた救世主でございます!」と発言する。彼は預言者としてのプログラムをインストールされているらしく、話を聞いていると、まさにニコの出現は預言にある通りの出来事であるという。

OneShot

ロボットの説明によれば、この世界――ゲーム内世界は、太陽が失われてしまって久しいそうだ。ニコが部屋のなかで手に入れた電球こそが太陽であり、それを世界の中心にある塔の天辺に置くことで、世界を救うことができるらしい。そうすることでニコ自身もまた、彼がもといた世界に帰ることができるという。

これでゲームの基本的な目標が明らかになるわけだが、さらに重要なのは、ロボットとの会話のなかで明かされるプレイヤーと世界との関係だ。ニコが部屋のなかで見たコンピュータのテキストについて質問すると、ロボットは、そのテキストはまちがいなくこの世界の神、RollStoneに向けられたものであると断言する。

OneShot

筆者はここで、喩えようもないほど強烈な印象を受けた。RollStoneとは、筆者のスクリーンネームである。そして、筆者はこのゲームに一度も名前を入力していない。つまり、このゲームは、筆者のPCにつけられた名前を能動的に読んでいるのだ。そしてまたロボットは、もしニコが強くそうしようと望めば、神と交信することができるはずだとも語る。そこでニコは目を閉じて、「こちら」――つまり、プレイヤーが世界を見ているディスプレイ――のほうを向き、プレイヤーに語りかける。

OneShot

すると選択肢が現れる。いずれの返答をしようとも、ニコはたしかにプレイヤーと交信できた、とロボットに報告する。ロボットは、神の導きに従い、この世界に光を取り戻すことをニコに要求する。ニコは了承して、プレイヤーとともに世界の中心にある塔を目指すことになる。

神と救世主、父と息子

本作においてプレイヤーがこなすことになる役割は、主人公ニコを導く「神」である。プレイヤーは、ゲーム内世界の住人たちにとっては理解不能な形で、この世界に配されたさまざまな謎を解くための鍵をニコに与える。そうしてニコが難問を解決することで、まさしく彼は「救世主」となるわけだ。これはキリスト教にあるような父と子の関係に酷似しているが、冒険を進めるにつれて両者の信頼関係は確かなものとなっていく。

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そういうわけで、このゲームはごくふつうのゲームではない。ゲームの世界が、ただそれだけで閉じたものとして完結していないのだ。プレイヤーは、ゲームの内側の世界に配されたヒントだけでは、このゲームを攻略することはできない。ゲーム世界の謎を解くための鍵が、ゲームの外側に置かれているためだ――ヒントを明かすと、このゲームが推奨しているのは、フルスクリーンではなくウィンドウモードである。

だとすれば、自然に物語はメタフィクショナリティを利用したものになってくるし、そのあたりは実際にプレイして確かめてもらうのがいちばん良いだろう。筆者にできるのは、おそらく現時点で、ここまで強烈に第四の壁を打ち砕いてみせるゲームはほかに存在しないという確言だけだ。

高められていく父と子の信頼関係

話がすこしややこしくなってきたので、物語についてもうすこし語りたい。救世主ニコはプレイヤーの導きのもとで世界の中心を目指すのだが、いくつかの時点で、彼は「疲れたからすこし休みたい」とプレイヤーに頼む。プレイヤーは適当なベッドを見つけてやり、そこでニコは眠る。するとカットシーンが挿入されるのだが、それはニコがたびたび話していた、彼自身がもといた世界の小麦畑を映し出す。そして、ゲームが強制終了する。

おかしいなと思ってプレイヤーがもういちどゲームを起動すると、ベッドから目覚めたニコがそこに立っていて、プレイヤーにこんな質問を投げかける。あなたの世界に小麦畑はありますか、もしあるとしたらどんな景色ですか――この表現はつまり、ニコ自身もまたこのゲーム内世界に挿入された迷い子であることを語っているのだ。

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あるいは世界の中心へと向かう旅の途中、いくつかのシーンで、彼は心中の不安を語る。もしかすると自分は、彼がもといた世界に帰ることができないかもしれない。もう二度と母親と会うことができないかもしれない。こういったテキストとシステムによる語りによって、切々とした感情がプレイヤーに伝わってくる。救世主の役割を負わされているものの、彼はじつはひとりの子供でしかないのだ。プレイヤーはニコに共感し、自分の導きがなければ彼が目的を達せないことを痛感するだろう。

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こうして高められていくプレイヤーと主人公の信頼関係は、物語の終わりにふさわしい究極の二者択一へと収束していく。想像していただくほかないのだが、プレイヤーの現実世界にどうにかして接続しようとするこのゲームが、単純なリセットなどというものを許容するわけもないだろう。終盤までプレイすれば、本作が序盤で提示した「チャンスは一度きりだ」というメッセージの意味が、しっかりと了解されるに違いない。これだけでも、本作を完全な名作と言い切ってしまってもいいだろう。

ソルスティス・アップデート

OneShot

ここで少しだけ、筆者とこのゲームの関係について補足させてほしい。じつは、筆者は本稿執筆時から8ヶ月前に、このゲームを英語版でプレイしたことがある。それから約3ヶ月後、トゥルーエンディングとでも呼ぶべきエピソードが追加される、「ソルスティス・アップデート」が施行された。筆者がこうしてレビューを書いているのは、先週に日本語版アップデートパッチが配布されたからだ。

筆者はそもそも、新たなエピソードを追加する「ソルスティス・アップデート」のコンセプトに対して懐疑的だった。それまでに用意されていた物語だけで、このゲームはきれいに収束しているように思えた。また、そもそも本作が保持している重大なメッセージ――「一度きり」と、アップデートの追加は、どうも相反するもののように思われた。

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にもかかわらず、新しいエピソードをプレイしたうえで断言できるが、このトゥルーエンディングは必要不可欠なものである。アップデート前までの本作が、プレイヤーと主人公、そして世界との対応関係を語るものだったとするならば、追加されたエピソードは、そもそもどのようにしてゲーム内世界が構築されたのかというフィクションを追求するものであったからだ。

つまり本作は、メタフィクショナリティを追求することによって自然と生まれてくる問題――この作品における作者とは、いったいどのような立ち位置であるのかについて、真っ正面から語り直したのである。じつは究極的には「一度きり」ではないこの世界の構造そのものについて切り込んでみせる物語には、ほとんど鬼気迫るものが感じられるほどだが、これもまた実際にプレイして体験してもらうべきだろう。

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驚くべきことに、主人公ニコは、8ヶ月ぶりに彼のもとを訪れた私のことを覚えていてくれた。