以下に「ゲーム・オブ・スローンズ」シーズン7のネタバレが含まれる。


HBOの「ゲーム・オブ・スローンズ」がジョージ・R・R・マーティンによる原作シリーズを追い越して以来、番組は興味深い道のりを歩んできた。シーズン5の物語は「あまりにも陰惨」として一部で厳しい批判を受けた。もともとダークな番組ではあるが、ファンの多くは放送開始から4年半にして、限界点を迎えたようだった。

サンサが暴行され、シリーン姫が父親の手で殺されるという展開を受け、一部の評論家は「ゲーム・オブ・スローンズ」がひたすら苦痛だけをこれみよがしに描いていると批判した。特に、これらのシーンは原作には存在しない(まだ起きていないだけかもしれないが)ということも、火に油を注いだ。視聴者は勝利を待ち望んでいた。ファンは善人たちに一度で良いから勝利して欲しかったのだ。だが、ご存知の通り、シーズン5のフィナーレではジョン・スノウが死んだ。

 

それゆえ、視聴者は息を潜めてシーズン6を見守った。マーティンの原作から完全に離れたシーズン6は、子供に飴を配るくらい無造作に幸せな瞬間や報復シーンをプレゼントしてくれた。極めて優れた2つのエピソード「落とし子の戦い」「冬の狂風」で締めくくられたシーズン6は、「ゲーム・オブ・スローンズ」史上最も幸せなシーズンだったといえる。しかし、これまでのシーズンを考えると、シーズン6はほとんど“幸せすぎる”ようにも感じられた。さらにキャラクターの移動が早すぎるという批判も加わり、シーズン6は異例のシーズンとなった。製作総指揮のデイヴィッド・ベニオフとD・B・ワイスは今、マーティンとは大きく異なる方法で「ゲーム・オブ・スローンズ」の物語を完成させようとしており、番組はより伝統的なTVドラマに近いものになりつつあった。

シーズン7において、「ゲーム・オブ・スローンズ」は伝統的なTVドラマにさらに近づいただけでなく、キャラクターの高速移動も倍増した。理由はエピソード数が減ったから。各エピソードの尺は伸びたかもしれないが、通常ならば10話にわけて描かれる物語が少ないエピソードで描かれることになった。エピソード数が減ったことで良かったことの一つは、巨大なバトルシーンの頻度が増えたことだ。シーズン全体の予算はこれまでと変わらず、各エピソードに費やされる予算は増えた。

 

「ゲーム・オブ・スローンズ」に対する様々な批判は、対処するのが難しいものになりつつあった。「ゲーム・オブ・スローンズ」は憂鬱すぎたり、人殺しショーになってはならず、簡単に予想できるような展開になってもいけない。制作陣は恐怖と幸福の間で巧みにバランスを取らなければならず、死ぬキャラクターは重要すぎても、平凡すぎてもいけない。番組が始まって6年、我々は異なるキャラクターに愛着をもつようになり、これまでと同じように、お気に入りのキャラクターが死んだことへの恐怖で一致団結することがなくなった。ワイスとベニオフはシーズン7において満足させることが不可能な視聴者を相手に、ほとんど不可能なタスクを抱えていたと言って良い。

シーズン7への不満のほとんどはフィナーレの一つ前のエピソードである「壁の向こう」のレビューにまとまっている。通常のシーズンであれば2話、3話に分けて描かれるはずのエピソードが1話に詰め込まれ、地図の映像で始まる番組としてはずいぶんと地理的感覚に乏しいエピソードだった――ジェンドリーはどれだけの距離を走らなければならなかったのか、ジョン・スノウたちはどれくらい長くあの島で待っていたのか、イーストウォッチからドラゴンストーンまでどれだけ速く鴉がとんだのか――全てが曖昧だった。

それに加え、このエピソードでの死者はほとんど全て名前もない雑魚キャラだった。かつてないほど危険なシチュエーションだったのにもかかわらず、死んだメインキャラクターはたったの1人しかいなかったのだ。

 

トアマンドやジョラー、ベリックがこの壮大な戦いで死ななかったことは、今生き残っているキャラクターが「お約束」という名のアーマーに守られているという印象をさらに強めた。これまでの「ゲーム・オブ・スローンズ」であれば、誰であっても死にかねなかった。お約束の展開や、物語の伏線が回収されたか否かは関係がなかった。しかし、今となってはトアマンドがブライエニー、ジョラーがダニー、ジェンドリーがアリアに再会する前に死ぬ可能性はかなり低そうだ。

ゲーム・オブ・スローンズ

ここで考えなければならないことが一つ――それは果たして悪いことなのだろうか?だって私はトアマンドとブライエニーにモンスターのような赤ちゃんを作って欲しいし、ジェンドリーとアリアに再会して欲しい。そういう展開が綺麗すぎるからといって、我々は失望しているのだろうか? 必ずしも皆が死ななければならないのだろうか?

恐らく「ゲーム・オブ・スローンズ」が次のシーズンで完結し、そのシーズンが2019年まで放送されないというのは最善のオプションなのだろう。人気があるものというのは遅かれ早かれ、いつかは視聴者を失望させるものだ。どこかのタイミングでこれまでは許していた欠点を見逃すことができなくなり、あら捜しをしたくなる瞬間がやってくる。「ゲーム・オブ・スローンズ」はその転換期を迎えたのだ。

 

さて、ブーイングはここまでにして、シーズン7の素晴らしい瞬間を見ていこう。まず、なんといっても「戦利品」だ。メジャーなキャラクターたちがあれほどのスケールで激突するのはシリーズ史上初めてのことで、視聴者は2つの陣営の間で引き裂かれる思いがした。というのも、本来ならばやられてスカッとするはずの陣営に、我々が愛するジェイミーとブロンという2人のキャラクターがいたからだ。ドラゴンが現れた時のジェイミーの顔、ブロンがスコーピオンを構えるシーンと、ジェイミーがドラゴンの女王に突進していく姿――あれは息を呑むようなエピソードだった。

ジェイミーとブロンがあの状況で生き残ったというのは、「壁の向こう」のあり得ない展開に繋がる序章だったと言うこともできるが、それでも「戦利品」の輝きを損なうことはできない。

物語のペースが早まったことには利点もあった。シリーズの要とも言えるジョンとデナーリスはわずか第3話で出会った。通常ならばシーズンの後半まで起きない展開だが、ペースが早まったことにより、2人がお互いを知り、フィナーレで結ばれるまでの流れが丁寧に描かれた。また、デナーリスの戦争に最初から突入するというのも良かった。

 

素晴らしかったのは、デナーリスの癇癪とターガリエン家の残酷な歴史が物語の焦点になったところだ。制作陣はデナーリスがドラゴンに飛び乗って七王国を蹂躙しない理由を探さなければならなかったわけだが、まさにピッタリの理由があった――デナーリスはシーズン1から罪なき人々のために戦ってきたのだ。彼女がウェスタロスに来るまでに7シーズンもかかった理由は、何万キロも離れた土地で奴隷制度を廃止することが彼女にとって何よりも重要だったからだ。

デナーリスは3頭のドラゴン――3つの核兵器といって良い――を従えているかもしれないが、後先考えずにそれを使えるわけではない。そう、一見有利に見えたデナーリスは、戦略的に不利な立場に立たされた。シーズン7は彼女のタスクが実際にはどれほど大変なものなのかを上手く描いていた。

バトルシーンは今回も素晴らしかった。「戦利品」のバトルだけでなく、ダニーがジョンをすんでのところで救ったシーン、ユーロンがヤーラの艦隊を壊滅させたシーン、〈壁〉が崩壊するシーン――シーズン7のVFXは最上級のクオリティだった。

 

重要人物はみんな大陸に集まり、交流するようになった。ダニーの勢力はジョンとダヴォスと出会い、サーセイとジェイミーはタ―リー親子とユーロンと手を組んだ。シーズンフィナーレの素晴らしい竜舎のシーンでは、10数人の重要キャラクターが一つのスペースに集結し、北の脅威を話し合った。〈夜の王〉は最新シーズンで非常に上手くいった要素の一つで、死者の軍団がデナーリスとサーセイの玉座争いを中断させ、サーセイを除く全員にとっての優勢事項となった。

もちろん、全員が竜舎にいたわけではない。ウィンターフェルのスターク姉妹には別の物語が用意されていた。リトルフィンガーの処刑シーンは素晴らしかったが、そこに至るまでの道筋は控えめに言っても、おぼつかないものだった。フレイ家の虐殺シーンとブライエニーとのトレーニングシーンにおいて今シーズン最高のファンサービスを届けた彼女だが、ウィンターフェルではどこか“ズレている”印象を与えた。

 

彼女はおかしかった。それは彼女が演技をしていたからなのか、それとも本当に別人だったのか(シーズン6で浮浪児と入れ替わったのではないかと考えたファンもいた)は別として、視聴者は何かがおかしいことに即座に気がついた。そうなると、アリアがリトルフィンガーに罠を仕掛けているのは明白だった。

結果として、ベイリッシュ公の破滅は満足できるものになったが、アリアがサンサに対して氷のような態度を取り、敵愾心を見せたのは間違いだった。というのも、制作陣の「アリアがサンサを殺しかねないと思って欲しい」という意図が透けて見えてしまったからだ。巧妙な物語を作ろうとして、彼らはあからさまな展開を作ってしまった。