アメコミファンが待ちに待った「ワンダーウーマン」、遂に日本上陸。全米公開からすでに2カ月、その間アメリカの映画ファンの間で議論 (主にフェミニズム関連) が白熱しついには主演のガル・ガドットは「好戦的で平和を否定する危険なオンナ」といった説まで飛び出した。

女性が戦闘シーンを演じるとかなりの確率でこういったことを言われるが、ガドットはまた別格。イスラエル出身のガドットはミス・イスラエルとしてとして君臨した他、2年もの間IDF(イスラエル防衛軍)に籍をおき格闘技とかの有名なクラブ・マガで自分を徹底的に鍛え上げた。つまり彼女は本物の戦士にして類稀なる美女。ワンダーウーマンになるために生まれてきたかのような、アメコミ 映画産業にとっては素晴らしい逸材だ。作中ではセクシーなヘブライ語アクセントの効いた英語を披露し、悪党をどんどん一網打尽にしていくガドット。アクションのキレの良さは「アイアンマン」の初期をも凌駕するし、去年彼女が出演した「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」と比較してもクオリティが全く違う。新世代向けのスーパー・ヒロイン参上、それが「ワンダーウーマン」だ。

ワンダーウーマン

しかしワーナーブラザースジャパンのオンライントレイラーでは「男を知らない」「恋を知らない」などことさらダイアナのイノセンスを強調し、果ては彼女を天然味満載の、”強いんだけどかわいい女の子”としてのイメージを作り上げようとしたようだ(ナレーションはセーラームーンの三石琴乃)。これはとんだお角違い。日本のアメコミファンの怒りを買い、4~5月にはツイッターがちょっとした炎上をみせた。これを受けてか劇場用トレーラーは大幅に改変され、ワンダーウーマン=天然系女子の図式は消えた。めでたい。

ワンダーウーマン、別名ダイアナ・プリンス。彼女はアマゾネス族で知られる女性だけの島、セミッシラ島で一族のプリンセスとして生を受け、英才教育を受けて育つ。やがてダイアナは強く、美しく成長する。彼女の二大特徴は好奇心の旺盛さと正義感の強さ。悪を成敗することに文字通り命をかける無敵の美女戦士だ。島にいることは素敵で幸せだけれど広い世界に飛び出し、自分の力を世界のために役立てたい。ダイアナのこの心の動きを「ワンダーウーマン」は誠実に切り取ってみせている。

おりしも外の世界は第一次大戦の真っ只中。ダイアナが初めてそれを知るのは島の海岸で不時着した飛行機から男性パイロット、スティーヴ(クリス・パイン)を救出したとき。スティーヴを追ってドイツ軍が島にやって来、アマゾネスと壮絶な闘いを繰り広げる。この戦闘シーンはダンスを見ているように美しく、誇り高い。

そこで一族の将軍であるアンティオペ(ロビン・ライト)が凶弾に倒れる。アンティオペを失い、ダイアナはこの世に正義を流布するため、戦いをなくすため、スティーヴとともに島を去ることを決意する。

母親に別れを告げるダイアナ。涙なくしては見れないシーンだ。ダイアナの初々しさ、感情の豊かさなどもこの映画の大きな見どころ。「かわいい」という言葉では決して締めくくりたくない、ヒロインとしての厚みと幅を感じる。

 

ガドットとパティ・ジェンキンズ監督とのタッグは見事で全編、女性がスカッとできるシーンやセリフがちりばめられている。その功績は4人の男性 (「ジャスティス・リーグ」のザック・スナイダー監督も参加)による脚本チームによるところが大きい。ものすごおく、女性に気を遣っているのがわかる。「ワンダーウーマンを女の子扱い? いやいやいや滅相もごさいません」的な腰の低さがあちこちで見てとれる。それが鼻につく観客もいるかもしれない。が、しかし。 現在のハリウッドの政治環境を考えると女性蔑視や差別を絶対避けなければならない。特にNGなのは「女性は男性のサポート役にまわり、恋愛に生きるかわいらしい存在」といった切り口。アクション映画にありがちだ。今まではこの路線でオッケーだったが新生「ワンダーウーマン」の登場により景色がだいぶ変わった。これからのアクション映画は軌道修正を余儀なくされるだろう。

一方で、気になるのはスティーヴがすっかり霞んでいること。演じるクリス・パインといえば「スタートレック」のカーク船長を演じたヒーロー系イケメン。ここではダイアナのサポート役にまわっていて今までのアメコミアクションストーリーの真逆だ。ワンダーウーマンは華々しい戦闘の表舞台にいるのにスティーヴは自己犠牲を買って出たりダイアナに対する思慕をつのらせたり。そのあからさまな男女逆転も「ワンダーウーマン」のおもしろさ。早くも続編が待ち遠しくなる一作だ。